
煌々とした明かりの下よりも、さりげなく、優しい明るさの方が本の世界に浸れる気がする。
部屋のなかの陰翳が物語や自分の頭のなかの曖昧さに似ているのかもしれない。
古い時代の本を読むことに長いこと没頭して、いつのまにか喉が渇いていることに気付く。
水をひと口ふくみ、ふと目をあげるとそこにはボンヤリとした明かりが点いている。安心して元の世界に戻る。
煌々とした明かりの下よりも、さりげなく、優しい明るさの方が本の世界に浸れる気がする。
部屋のなかの陰翳が物語や自分の頭のなかの曖昧さに似ているのかもしれない。
古い時代の本を読むことに長いこと没頭して、いつのまにか喉が渇いていることに気付く。
水をひと口ふくみ、ふと目をあげるとそこにはボンヤリとした明かりが点いている。安心して元の世界に戻る。
イタリアビールを飲みながらコロッケをつつく。
石窯を眺めると、自分たちのためのものと思われるピッツァが焼かれている。
コロナ禍で長いことテイクアウトでしか味わえなかったあの味。
冷めてもおいしいものは焼き立てもとびきりおいしい。
普段コーヒーばかり飲んでいるのでたまには紅茶でも、と思ってカフェに立ち寄ると
「レモンケーキ」という文字が目に入り、試しに注文してみる。
ちょっぴり疲れている時でもあったので甘味が欲しかったところへレモンの爽やかな酸味も加わって、ティータイムに理想的な軽食。
ケーキと柑橘というのは何故こんなに合うのだろう。
- 僕も歳をとるのは初めてのことなので、うまくできるかどうか、実を言うと自信はありません。
「幕引き」というのも、自分で決められることではないような気もします。
でもできるところまでは、自分のペースを確実に保ち続けたい、それが僕の考えていることのすべてです。-
村上春樹 / 雑文集
モーニングにこれ以上のものは望めない。
店員さんと交わす朝の挨拶。
ゆで卵とサラダにホットドッグ。温められたカップで出される熱々のコーヒー。
テーブルに置かれた新聞。
満ち足りた顔でお店を後にするおじさん達。
乗り鉄でも撮り鉄でもないけれど
時間に余裕のある休みには
電車でいつもより少し遠くまで行って
山の澄んだ空気や優しい川の音をゆっくり味わって帰ってくる。
こういう過ごし方もたまには良いかもしれない。
- 私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについて、その時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。
また現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行ない、
さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行なっています。
そのようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと私は思います。-
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 加藤陽子
グリーンが家のなかにあると心が安らぐ。
水やりはこれくらいでいいかなとか、日当たりはこれで足りてるかなとか、考えればキリがないわけだけど、
なんだかスルスルスルと時間がすりぬけていってしまいがちなこの時代に自分以外の誰か何かを気遣う時間があるというだけで
ほんの少し豊かな時間を生きているような感じがする。
それにしても世の中には数えきれない程の生物がいて、お店で購入可能な観葉植物だけでもこれだけこれだけ様々な色形のものがいて、
自分が知っている世界というのは世の中のほんの一部分なんだろうなとあらためて思う。
子どもの頃はなぜだかいつも眠くて、お昼ごはんの後はもちろん、プールの後、おやつの後、旅行中の車や電車、果ては友だちの家でまで長いこと眠りこけてしまうことがあったなと思い出す。
withコロナの時代になって家時間が増え、身体も昔を思い出すのか、昼の12時をまわると巨大な睡魔に襲われるようになった。
そんな時は無理に抗うことはせずに5分でも10分でも目を瞑って横になることにしていて、そうするとやがて温かなプールに浮かんでいるような心持ちになる。
若い頃はこんな時間は無駄だと昼寝はやめ、夜の睡眠時間もなるべく保とうとしていたけれど、十分な睡眠は自分の内面のザラザラしたものを綺麗に取り去ってくれるような感じがする。
満ち足りた気分で世界を眺めると、身の回りのアレコレはそれほど悪くないなと思えてくる。
昼寝の前にカフェインを摂るといいんだよ、と何かで聞いたことがあるが個人的にはその順番は逆が良い。
この短い眠りのあとに、自分で淹れた珈琲をたっぷりと楽しむ時間だってあるのだと想像してみる (実際にはそれ程のんびりもできないとしても) 。
それだけでワクワクとした気分で次の世界を歩んでいける。
寒い日、無性に味噌ラーメンが食べたくなる時がある。それと同じくらい脳がモヤシのことを欲している。
濃厚なスープを喉に流し込んでからまずは麺だけてゾゾゾと頂き、もやしの山を崩しながら「さて、この後はどういう流れで食べ進めようか」なんてことを考える瞬間の全能感が堪らない。
味噌に浸したモヤシを味わってから今度は麺と絡めたモヤシを豪快に口に運んでもいいし、最初からホロホロとした食感のチャーシューとシャキシャキのもやしのコンビネーションを楽しんでも良い。
匙を使って鮮やかな七味をモヤシのうえにさらさらと振り掛けた後の味噌ラーメンというのはまた美しい (食べ終えてから写真を撮るのを失念していたことに気付く) 。