GastronomieLectio

稲荷 (いなり)

小さい頃はなぜか「おいなりさん」なんて寿司じゃないって思っていた。

何がキッカケだったか覚えていないのだけど、2〜3年前から急に稲荷寿司の虜になってしまって、出先で変わり種のものなんかを見掛けると、ついつい食べてしまう。

「笠間いなり寿司」というのもあるらしい。

茗荷 (みょうが) とか肉味噌なんて入れたらそれは絶対おいしいでしょうよ。

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人物評論

-坂本が薩摩からかへつて来て言ふには、

成程西郷といふ奴は、わからぬ奴だ。

少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。

もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だらう

といつたが、坂本もなかなか鑑識のある奴だヨ-

勝海舟 『氷川清話』

人が人を評する際のエピソードというのは眉唾ものだなと思うこともあるけれど、勝海舟の人物評論はどれも面白くて、わかりやすい。

何世代も前の歴史上の人物たちの人柄に、グイグイと引き込まれてしまう。

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宰相 (さいしょう)

日本で「宰相」というとやはり吉田茂の名前が思い浮かぶ。

(ちなみに三国志ファンの端くれとしては「丞相」といえば、と問われたら曹操か諸葛亮かで迷う)

政治家は歴史によって裁かれるという言葉もあるとおり、時代時代によって再評価されたり貶められたりするところもまたヒトの社会の奥深さだなと思ったりもする。

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こぞの雪いまいずこにありや

-窓から手をさし出してみると、桜の枝は私たちの手にふれた。

太い幹から閑疎な枝を出して、桜の花びらは風の吹き具合によっては教室のなかにもまいこみ、

私たちの机の上やノートの上に遠慮なく散って来たのである-

井伏鱒二 『休憩時間』

そうそう、僕は教室が好きだったんだよな、と時々思い出す。

運動着と教科書とガラクタが詰まったロッカーやいつも埃っぽい床 (でも夏はひんやりとして気持ちがいい) 、訳の分からない文字が彫られた机、意味もなく騒がしいあの教室のことを思い出す。

ある日の午後の授業で、僕は、現国の先生が優しい声で読みあげる美しい日本語の文章を聴きながら、長いこと教室の外を眺めていた。窓の向こうには桜の樹が見えた。

いっそ目を閉じてそのまま眠ってしまいたいような、眠るのがもったいないような、幸せな時間だった。

先生がそのとき読んでくれた作品は、なぜだか思い出せない。僕が日本の古い小説を読むようになったのはあの日からだった。

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春の薔薇 (ばら)、夏の果実のごとく

-時というものはいわばすべて生起するものより成る河であり奔流である。

あるものの姿が見えるかと思うとたちまち運び去られ、他のものが通って行くかと思うとそれもまた持ち去られてしまう-

マルクス・アウレーリウス 『自省録』