佐藤オオキさんが著書で書いていた。
アイデアは日常的に出し続けるものであって、排泄みたいなものだと。
ふーむ。
佐藤オオキさんが著書で書いていた。
アイデアは日常的に出し続けるものであって、排泄みたいなものだと。
ふーむ。
秘書にはベッドルームから退室してもらった。
明日の朝は、6Sと呼ばれるあの有能なアシスタントから呼び掛けられることはない。
結局はいつもと同じような時間に、同じような気分で目を覚ますような気がしているが、それでも「自身の体内からの呼びかけに応じて目を覚ます」という体験(何年振りだろうか)への期待感でワクワクしている。
アレ、眠れないかもしれない。。
世代、という意味では窪塚洋介かな、と思う。
『池袋ウエストゲートパーク』や『漂流教室』、映画『GO』も。
でもやっぱり強く記憶に残っているのは『ストロベリーオンザショートケーキ』。同世代の女の子を演じた深田恭子や内山理名らも僕らの世代を代表する女優。
ABBAの印象的なフレーズがいつまでも耳に残る。
あの頃は恋に、人生に、何かと悩ましい年頃で、ドラマを観ても心臓を鷲掴みにされたような思いを抱く瞬間が数多くあった。役柄に自身を投影していたのかもしれない。
現実の世界はそれほどドラマティックでもないし、ときにはシニカルな状況に置かれて溜息をついたりもするけれど、まぁ悪くない未来が待っているよと、あの頃の僕に言いたい。
要は、その時その時を一生懸命に生きればいいのだ、と思うようになった。
ショートケーキにのった苺を最初に食べてしまったとしても。
TSUTAYA
大人になるにつれて、白米の美味しさがわかってくる。沁みてくる。
魯山人も、米ほど美味いものはない、と言っている。
でも、炊きたてのご飯に、ふりかけを少々。これもやっぱり美味い。
実家の母は、よくご飯の残りに”のり玉”を振りかけ、おにぎりにしてくれたものだ。
翌朝、腹を空かせて起きてくると、テーブルの上には冷えて甘みが増したおにぎり。
これより美味いものって、ありますか?
昔、クライアントの新居探しを手伝ったことがある。
彼は、生まれてから今まで、ずっと、海が見える家で暮らしてきたという。
ご自宅から海が見えるというのは、どんな気分ですか、と僕は尋ねた。
考えたことも、なかったですね、と彼は答えた。
朝のルーティン。
目を覚ますと、ベッドのうえで軽く身体を伸ばす。リビングのカーテンを開け放ち、空気を入れ替えたらコップ一杯の水を飲む。パーカーを羽織ったら、15分程あたりを散策し、新聞受けに届いた朝刊を手に取って書斎に戻る。
熱めの湯で淹れたコーヒーを飲みながら新聞を読み、面白い記事を見つければ妻と共有し、時には突っ込みを入れる。
予定の入っていない日には、息子とコンビニまで散歩し、いつもは他紙を買って帰る。
記者によって書きぶりが違うのは当然だが、同じ事件・事象を扱うにしても社によって論調が違う。モノゴトに対する姿勢・見方の違い、記事を書く人(編集長、新聞社そのもの)のバックグラウンド、そういったものが日本語の文字(考えてみれば日本語自体、外来語を含めた多様な表現方法だが)から浮かび上がってくる。
コンビニに着くと、息子に新聞とEdyを渡し、シャリーンして帰る。
彼が大人になる頃、この無駄にかさ張るガサガサした紙のメディアはまだ生き残っているだろうか。