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ラジオのある生活

父や祖父の時代には、情報は耳から入ってきた。

終戦を迎えた日、この国の人々は玉音放送を通じてひとつの時代が終わったことを知った。

次いでこの国を覆った欧米の文化は、ラジオを通じて、若者の耳を通じて入ってきた。

江戸時代までの知識人たちは漢籍という教養を通じて遥かな大陸の文化に焦がれた。それと同じような純真さで父たちはアメリカやイギリス発の音楽に耳を傾けたのかもしれない。

当たり前だけれど、ラジオをつけても話している人の顔は見えない。正確にいうと、テレビのタレントがそのままラジオ番組を持っていることが多く、脳裏にはそのパーソナリティ(こう書くと変な表現だが)の顔が浮かんでいる。それでも長い時間耳を傾けていると、純粋にその人の”声”の魅力や”テーマ”の面白さが浮かびあがってくる。次第に、自分に話しかけてくれているような、これから個人的な関係を築けていけるような、そんな錯覚すら覚える。

思えば家族みんなでテレビを観る時代を経て、ひとりひとりがスマートフォンでYouTube等のコンテンツを楽しむようになった。我々はますます視覚に頼るようになっている。

ここが笑うポイントですよ、とテロップで教えてもらう時代はまもなく終わり、音を楽しみ、意味を咀嚼する時間を悦びとする時代が再び来るのかもしれない。

 

 

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インブリーディングの弊害

血は、交じり合った方がいいらしい。

人間もそう。犬もそう。馬もそう。

昔、この島国に棲む人間がもっともっと少なかった時代、それぞれの地域で村や集落をつくってもっと小さな単位のグループをつくって暮らしていた時代。

そこでは時折、意識的に”よそ者”や旅人を受け入れ、新しい血を迎え入れることで集団の命を次につないでいたと聞く。

近い人ばかりで暮らしていると、思考も凝り固まってくる。

新しい血、新しい価値観は、いつの時代にもワクワク感と幾分の恐怖をもって迎えられる。

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クラクションを撤廃したら

老人が横断歩道を渡っている。

彼が道路の半ばに差し掛かった頃、信号機は既に警告のためのチカチカを辺りに撒き散らしている。

乗用車のドライバーたちは、信号が変わる前からイライラした様子でハンドルに手を掛け、列をなしている。

やがてあの耳障りな警告音が、いくつかの車から発せられるだろう。

ドライバー達の顔前に備え付けられたこの怒りの増幅器、この世界に必要ですか?

あんな甲高い音じゃなくて、ゾウやウマ、ヒツジなどの啼き声にしてみたらどうかな、なんて思ったりして。

もう少しハッピーな世の中に、なりませんかね?

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お茶請けとしての純黒糖

奄美の純黒糖を手に入れた(こう書くと『ドラゴンクエスト』みたいだが)。

地方のアンテナショップのようなお店でランチをした際、食後の紅茶のお茶請けとして出てきたのが純黒糖。お土産として買って帰りたいと申し出たのだが、あいにく品切れ。Amazonで評価が高かった品を注文すると、3日で届いた。

砂糖はコーヒーや紅茶に入れるものという先入観があったが、アンテナショップのプレゼンテーションを手本に、お茶を飲んでは齧る、お茶を飲んでは齧る、という楽しみ方。

当然、糖なので甘みも十分で、口に含むと脳が喜んでいるのがわかる。また、黒糖を合間に齧ることで、茶やコーヒーの苦味・うま味が引き立つ。

おまけに純黒糖は栄養価が高く、とりわけミネラルが豊富とのこと。

カロリーもそれなりにあるようなので、もちろん摂り過ぎ注意、ですが。