日: 2019年3月2日
サヨナラバス
小さい頃は、とあるメジャースポーツの少年団に通っていた。
専用のグラウンドが隣町にあり、送り迎えのために地元の大きな公園にマイクロバスが迎えに来る。
運転手は先生(監督、とは最後まで呼ばなかった)。
バスに小学4年生から6年生までの皆が順に乗り込み(低学年生は別の曜日)、行き帰りには先生がマイクで冗談を飛ばす。
僕が4年生だった冬のある日、父から「先生は春になったら新潟の田舎へ帰るそうだ」と告げられた。
最後の日、練習試合中、暗くなってきたグラウンドを照らすために先生がいつものとおり自前の真っ赤な発電機(当時は名前も仕掛けも知らなかった)をグイグイと引っ張っている姿が見えた。
ああ、これが最後なんだ。この試合が終わってしまったら、サヨナラのバスに乗らなければならないんだ。
あのバスも、先生が新潟に乗っていく車も全部壊れてしまえばいいのに、とその時は冗談じゃなく強く願ったけれど、時の流れは容赦なく、淡々と進む。
サヨナラの瞬間のことも、先生との沢山の思い出も、記憶の彼方に追いやられてしまった。
それでも時折、ガソリンスタンドで給油をしているとオイルのツンとした香りとともに、当時の記憶がふいに突き上げてくるのだ。
素面で考えること、酔った頭で考えること
酔い心地の僕の頭に湧いてくるモノゴトが、素面の時のそれよりも楽天的で楽しげなものであるかというと、そうでもなくて。
どちらもやっぱり僕の頭の中から出てくるもので、それ以上でも、それ以下でもない。
寝ている時間への投資
人生の3分の1は寝ている。
僕の場合、睡眠は概ね7時間、前後の30分は身体のケアに充てていて、若い頃からほぼ同じ生活を続けている。
まさに人生の3分の1は稼働していない計算になるが、最近は仕事のない日にはさらに30分の午睡(シエスタ)を取り入れている。
午睡によって1日の前後半それぞれを充実した時間にできる、という確かな実感がある。
この午睡という習慣を手に入れたことで、睡眠(夜の7時間)への意識が更に高まった。
オーダー枕の導入や夜間のブルーライト禁止など、方法論は色々と聞かれるが、個人的に気に入っているのは、”眠りに媚びない”という姿勢の導入だ。
我々は眠いから眠る。
そして、毎日が楽しいから起きるのだ。