小さい頃は、とあるメジャースポーツの少年団に通っていた。
専用のグラウンドが隣町にあり、送り迎えのために地元の大きな公園にマイクロバスが迎えに来る。
運転手は先生(監督、とは最後まで呼ばなかった)。
バスに小学4年生から6年生までの皆が順に乗り込み(低学年生は別の曜日)、行き帰りには先生がマイクで冗談を飛ばす。
僕が4年生だった冬のある日、父から「先生は春になったら新潟の田舎へ帰るそうだ」と告げられた。
最後の日、練習試合中、暗くなってきたグラウンドを照らすために先生がいつものとおり自前の真っ赤な発電機(当時は名前も仕掛けも知らなかった)をグイグイと引っ張っている姿が見えた。
ああ、これが最後なんだ。この試合が終わってしまったら、サヨナラのバスに乗らなければならないんだ。
あのバスも、先生が新潟に乗っていく車も全部壊れてしまえばいいのに、とその時は冗談じゃなく強く願ったけれど、時の流れは容赦なく、淡々と進む。
サヨナラの瞬間のことも、先生との沢山の思い出も、記憶の彼方に追いやられてしまった。
それでも時折、ガソリンスタンドで給油をしているとオイルのツンとした香りとともに、当時の記憶がふいに突き上げてくるのだ。