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ラジオのある生活

父や祖父の時代には、情報は耳から入ってきた。

終戦を迎えた日、この国の人々は玉音放送を通じてひとつの時代が終わったことを知った。

次いでこの国を覆った欧米の文化は、ラジオを通じて、若者の耳を通じて入ってきた。

江戸時代までの知識人たちは漢籍という教養を通じて遥かな大陸の文化に焦がれた。それと同じような純真さで父たちはアメリカやイギリス発の音楽に耳を傾けたのかもしれない。

当たり前だけれど、ラジオをつけても話している人の顔は見えない。正確にいうと、テレビのタレントがそのままラジオ番組を持っていることが多く、脳裏にはそのパーソナリティ(こう書くと変な表現だが)の顔が浮かんでいる。それでも長い時間耳を傾けていると、純粋にその人の”声”の魅力や”テーマ”の面白さが浮かびあがってくる。次第に、自分に話しかけてくれているような、これから個人的な関係を築けていけるような、そんな錯覚すら覚える。

思えば家族みんなでテレビを観る時代を経て、ひとりひとりがスマートフォンでYouTube等のコンテンツを楽しむようになった。我々はますます視覚に頼るようになっている。

ここが笑うポイントですよ、とテロップで教えてもらう時代はまもなく終わり、音を楽しみ、意味を咀嚼する時間を悦びとする時代が再び来るのかもしれない。