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平成の最後に

僕は昭和生まれだけれど、物心ついた頃には既に平成だった。

僕にとって生まれてから今までの思い出のほとんどは、この平成という名前の付いた31年と4ヶ月の間に収まっている。

「経済的にも文化的にも停滞を余儀なくされた時代でした」みたいな総括が目立つけれど、ふーむ。

(まさに”放棄”させられたことによる結果とはいえ)長いこと戦争をせずに、平和を謳歌した日本人の在り方、世界との関わり方っていうのは、もっと評価されたっていいでしょう、ねぇ。

 

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ジャイアントコーンは裏切らない

友人がSNSで「ジャイアントコーンは裏切らない」的なことを書いていた。

脳裏にはチョコレートアイスのこっくりとした甘みとコーンのサクサク感が浮かんだ。

僕はすぐさま傘をさしてコンビニに向かい、アイスのショーケースを覗き込む。そこに見慣れたパッケージを見つけ、安堵する。

妻のためにレモンの輪切りの入ったシャーベット(これも僕の大好物だ)を選び、自宅に戻る。息子が「サクサクのところ、頂戴」と言って駆け寄ってくる。

不朽の名作はこうして語り継がれていくのだ。

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使命感

 天皇陛下の心臓のバイパス手術をされた心臓外科医の天野篤さんが、日経新聞の取材で陛下に接した際の印象として「使命感で動かれていて、『私』がない」 と述べておられた。

 ある友人が「陛下から静かな声で語りかけて頂いたとき、不思議と心うたれるものがあった。また、恐れ多い表現かもしれないが、後ろに控えておられた皇后陛下の穏やかな表情は、何か相当の覚悟を持ったヒト特有の雰囲気があった」と語ったのを思い出した。彼は平成最後の年の冬に、あるボランティア活動の一環で、皇居に赴き、お二人にお目にかかる機会を持ったのだ。

 我が国の津々浦々を訪れ、各地で祈りを捧げられたお二人。国民と寄り添う、日本国の象徴として。僕たちは、次の時代に何を祈ろう。

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渡来人と帰化人

田中史生さんの著書。

タイトルと書評からして面白そう。ジャケ買い。

亡命百済人の大量渡来。あらゆる階層の民が島国に流入した未曾有の出来事。

海の向こうから流れ着いた“異物”を消化、吸収し、文化の燃料へと変えた懐の深さ。

昨今の日本でもダイバーシティとか多様性だとか、耳にはするけれど、かえってこの国の人々の同質性は深化しているような気もする。

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春になれば

虫にも快適な家、棲みよい街というのがあるのだろうか。

俄かに昆虫や海洋生物に興味を持ち始めた息子と虫捕りに出掛けるのが、この頃のマイブームだ。

冬の間中、カチコチの雑木林を歩いては「寒い時期には虫たちは寝んねしてるからね」と息子に語りかけてきた。

その反動からか、4月に入ってからは毎日のように季節はずれの虫捕り網とカゴを持って公園へ向かっている。

2時間歩いても見つけられるのはダンゴムシや蟻などの矮小な虫たちばかり。それでもこの小さな宇宙を抱えた少年にとっては宝物のような存在に見えるらしい。

半月ほど同じルートを何度も何度も歩いていると、どこ(どの木)に、誰(どの虫)が、何人(何匹)くらい住んでいるか、見当が付くようになってくる。

人口過密地域もあれば、広大なエリアに少しの虫しかいない、過疎地域もある。

思えば自然界における資源(おもに食糧)もまた有限であり、彼らが生き延び、種を保存していくためにはどこで暮らしていくか、立地が重要であることは言うまでもない。

みたいなことをモソモソ考えていたら、地を這う虫たち(僕たち人間もそうだ)を余所に、綺麗な蝶が目の前を悠々と過ぎていった。

春になったんだよ、と息子は笑った。

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遅めの朝ごはんと早めの昼ごはん

村上春樹(ファンなので呼び捨て)の『ノルウェイの森』には心に残るセリフが多い。

永沢さん(主人公に自己投影しているため、この主人公の先輩は”さん”付け)が「遅めの朝食と早いめの昼食の違いくらいしかないんだよ」と語る場面があって、初めてその項を読んだとき、面白い表現だな、フフ、と感心した記憶があるが、その後、微妙な時間帯に起きるたびに「これは朝食なのか、昼食なのか」と自問することになった。

日常のなかで”どちらでもいい”と流されていきがちなことを、自意識のなかでどう処理していくか、どう意味付けていくか。自分の足で、自分の頭で人生を歩むための靴であり、モノサシなのだと考えるようになった。

ちなみに、永沢さんの「自分に同情するな」という言葉は、僕の座右の銘になっている。

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没頭する時間

このところ息子と過ごす時間を意識的に増やしている。

ついこの間まで抱っこ紐に包まれた重くて大きな(そして愛らしい)カタマリだったのが、今や自分の足で、そして目で外の世界を味わっている。

眩しい太陽、きれいな声で鳴く鳥、蜜を吸いに集まる虫、彼にとってはその全てが新しく、魅力的なのだ。

心理学や脳科学の書籍を繰ると、幼少期の良質な刺激が脳の回路を劇的に拡げてくれる、とりわけ何かに熱中、没頭した時間・体験がその子を大きく成長させると書いてある。

図書館にこもって図鑑を読み漁った時間、グラウンドで白球を追いかけたあの時間も無駄では無かったということだ。

オトナになるにつれ、時間を忘れて何かに没頭する、ということが難しくなってくる。

何となく忙しい、、なんとなく気分が晴れない、、惰性で流れていく毎日もまた、目の前を通り過ぎ、恐ろしいスピードで遥か彼方へ行ってしまうのだ。