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そこには慈愛と悲哀との杯がなみなみと充たされている

-その甘美な、牧歌的な、哀愁の沁みとおった心持ちが、もし当時の日本人の心情を反映するならば、この像はまた日本的特質の表現である-

和辻 哲郎 『古寺巡礼』より

かねてから僕は奈良、とりわけ天平年間の美術・工芸品に心惹かれてきた。

なかでも正倉院宝物の美に魅せられることが多い。

恐らくは、あの時代に生きた人々の抱いていた唐や西域への憧憬を、これらの品々を通じて感じるのだと思う。

これまで仏像にはそれ程の執着心はなかったが、先日、とある番組で中宮寺の菩薩半跏像(国宝)を見て、一瞬で心奪われた。

和辻が”黒いつや”と表現するあのツルリとした肌の質感と、菩薩が内包する慈愛と悲哀を、いつかこの目で感じてみたい。

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むしろソースを食べているのかもしれない

長めの午睡から目覚める。

外では雨が降り続いている。

小腹が空いていることに気付き、キッチンまで行くと、今朝コロッケパンをひとつ残しておいたことを思い出した。

気に入りのパン屋で買ってきたものだ。

コッペパンにコロッケとたっぷりのキャベツが挟んである。

ソースがかけられてからはだいぶ時間が経っているため、全体にしなっとしている。

僕はそこに、もう一度ブルドッグソースをかける。ソースのフレッシュな酸味と甘みが食欲を唆る。

これはコロッケパンを美味しく食べようとしているのではないのかもしれないなと思った。

厳密には、あくまでも僕の脳が欲しているのはソースであって、ソースを美味しく食べるために、パンとコロッケとキャベツを必要としているのかもしれない。

そういえば、とんかつ屋さんでロースカツと一緒に食べる大量のキャベツもそうかもしれない。

キャベツをドレッシングやマヨネーズで食べることはしない。

ロースカツにかけるものと同じ、甘じょっぱいソースをキャベツにたっぷりとかけて、一目散に食べるのが好きなのだ。

…牡蠣フライにおけるタルタルソースもそうかもしれない。うーむ。