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朝ごはんは、宿で一番最後に口にするものだから

録りためていたNHKの『美の壺』を観た。

File412は、宿の朝食

若い時分から暇を見つけては夜行列車や鈍行に乗って旅をしてきたが、一番の楽しみは宿の朝食だった。

大してお金のない時代から、宿は少し贅沢をした。自分の脚でたっぷりと町歩きを堪能したら畳の上の布団でぐっすりと眠るのだ。

朝、部屋食の時間までぼーっとしていると、仲居さんが僕のためにせっせと朝ごはんの支度を整えてくれる。

おかずは沢山は要らない。

炊きたてのご飯に小さめの鮭の切り身とお新香と味噌汁があればいい。

白いご飯をあっという間に平らげてしまうと、仲居さんが「おかわり、お持ちしましょうか」とにっこりと微笑む。

…なんてことをテレビの前で思い出していると、この番組を前にも観たことがあることに気付く。再放送なのだ。

読書と同じで、良い作品は、何度味わっても良い。

やはり宿の朝食には湯気が立っていないといけない。

美しい飯が器に盛られるシーンというのは、僕たちのような健啖家にとっては危険過ぎる。

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楽しみがひとつ増えますよ

近所に、妻と息子と3人で通っているカフェがある。

シフォンケーキと一緒に旨い珈琲が飲める、地元では評判の店だ。

その日は雨宿りを兼ねて1人で立ち寄ってみた。

考えてみると、遅い時間にこの店に入るのは初めてのことだった。いつもより幾分混んだ店内を見て、やはり帰ろうかと振り返った先の陳列棚に目が留まった。

自宅でハンドドリップを楽しむための器具が一揃え置いてあり、何となく手に取る。

奥から快活な女性店員が出てきて、使い方を教えてくれた。

「珈琲、奥様は飲まれませんよね。一度、ご自宅でご自身のために淹れてみたらいかがですか。楽しみがひとつ増えますよ」

それも悪くないなと思った。

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ひとつ忠告していいかな

その頃の僕はひどく傷付いていて、現実の世界に背を向けるように朝から晩まで小説を読み耽った。

作られた世界は、僕に精神の小部屋を与えてくれた。

『ノルウェイの森』は随分と上の世代の作家による時代背景も異なる過去の作品だったが、そのときの僕にぴたりとはまった。

物語は、規律と怠惰を、それから悦びと痛みを同時に与えてくれた。

いま読み返してみてもそこから何かしら得られるものはあるだろう。

でもやはり、十代のあの頃に読まなければ、自分の心のなかの小さな震えみたいなものを見つけることはできなかっただろうなとも思う。

自分に同情するな

という台詞が、何年たっても耳から離れないでいる。

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日曜日にはアイロンを掛ける

多分、村上春樹の影響だと思う。

『ノルウェイの森』のなかで、主人公がガールフレンドの父親(まもなく死を迎える。ほとんどコミュニケーションが取れない)を見舞った際のやり取りが昔から好きで、何度も読み返している。

主人公は、自分にとって初対面の男、それも意識がほとんど無いガールフレンドの父親に向かって、自身のことを語り出す。

そのなかでアイロンがけについて語るシーンがある。

アイロンかけるの嫌いじゃないですね、僕は。くしゃくしゃのものがまっすぐになるのって、なかなかいいもんですよ」と。

社会人になって、気忙しい毎日を送るようになって、ちょっとした時間が自分にとって大切なものになった。

くしゃくしゃになっているのは恐らくは自分自身で、熱された鉄の塊で清潔な布地をスッスッと寝かせていく作業はなかなか悪くない。

スチームの独特の香りと、シュシュッという小気味いい音を聞くと、ああ。また日曜日が来たなと思ったりする。

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そこには慈愛と悲哀との杯がなみなみと充たされている

-その甘美な、牧歌的な、哀愁の沁みとおった心持ちが、もし当時の日本人の心情を反映するならば、この像はまた日本的特質の表現である-

和辻 哲郎 『古寺巡礼』より

かねてから僕は奈良、とりわけ天平年間の美術・工芸品に心惹かれてきた。

なかでも正倉院宝物の美に魅せられることが多い。

恐らくは、あの時代に生きた人々の抱いていた唐や西域への憧憬を、これらの品々を通じて感じるのだと思う。

これまで仏像にはそれ程の執着心はなかったが、先日、とある番組で中宮寺の菩薩半跏像(国宝)を見て、一瞬で心奪われた。

和辻が”黒いつや”と表現するあのツルリとした肌の質感と、菩薩が内包する慈愛と悲哀を、いつかこの目で感じてみたい。

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むしろソースを食べているのかもしれない

長めの午睡から目覚める。

外では雨が降り続いている。

小腹が空いていることに気付き、キッチンまで行くと、今朝コロッケパンをひとつ残しておいたことを思い出した。

気に入りのパン屋で買ってきたものだ。

コッペパンにコロッケとたっぷりのキャベツが挟んである。

ソースがかけられてからはだいぶ時間が経っているため、全体にしなっとしている。

僕はそこに、もう一度ブルドッグソースをかける。ソースのフレッシュな酸味と甘みが食欲を唆る。

これはコロッケパンを美味しく食べようとしているのではないのかもしれないなと思った。

厳密には、あくまでも僕の脳が欲しているのはソースであって、ソースを美味しく食べるために、パンとコロッケとキャベツを必要としているのかもしれない。

そういえば、とんかつ屋さんでロースカツと一緒に食べる大量のキャベツもそうかもしれない。

キャベツをドレッシングやマヨネーズで食べることはしない。

ロースカツにかけるものと同じ、甘じょっぱいソースをキャベツにたっぷりとかけて、一目散に食べるのが好きなのだ。

…牡蠣フライにおけるタルタルソースもそうかもしれない。うーむ。

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蛍 (ほたる) はどこへ消えた

早めの夕飯を済ませ、息子を連れて自宅から少し離れた里山へ出掛けることにした。

現地に着くと、縁日にでも遊びに来たような楽しげな親子が何組か、田んぼの周りではしゃいでいる。

見廻りを兼ねたボランティアのおじさんが何人かいて、そのうちの1人が「ホタル、今日は出てるよ」と教えてくれた。

淡い光の塊を見つけた息子にせがまれ、一頭捕まえてあげた。掌がポワッと明るくなる。

ふと、これはいつか見たことがあるなと思った。

小さい頃、地元の保護エリアでのホタル鑑賞会に父に連れていってもらい、興奮気味に色々話したのを覚えている。

ホタルって綺麗だね。あんなに沢山いるよ、と。

父は、「うん。お父さんの子どもの頃と比べるとだいぶ減っちゃったけどな」と呟いた。

そのホタルはどこへいっちゃったの、と僕は尋ねた。

父がそのとき何と答えたかは、覚えていない。