Lectio

実験室にこもった孤独な狂人が、花火に点火するような容易さで文明をバラバラに吹き飛ばすことができるかもしれない

-このさき五年のうちに我々が一人残らずみな原爆で木っ端(こっぱ)微塵に吹き飛ばされてしまう可能性が極めて高いことを考えるなら、これまでに原爆が引き起こしてきた議論の広がりは、当初の予想よりはるかに小さい。

原爆は、大規模な戦争の時代に終わりをもたらす可能性が高い。その代償として我々が手にするのは、いつまでも延長されていく「平和なき平和」の状態なのだが-

ジョージ・オーウェル / あなたと原爆

本書の解説の冒頭で、訳者の秋元孝文さんがこう書いている。

「オーウェルが鳴らした警鐘は、現代にこそ高く響く」

1945年の8月、原子爆弾が我が国に投下され、戦争は終わった。オーウェルのこの文章はそのわずか2ヶ月後に書かれている。

70年以上が経った今も、人類は核を放棄できていない。

実験室にこもった孤独な狂人が、花火に点火するような容易さで文明をバラバラに吹き飛ばすことができるかもしれない」への3件のフィードバック

  1. 秋月さん
    非常に単純で、ある意味、バカな質問です。
    何故、「核兵器は世界から無くすべきだ」という意味のこと秋元孝文氏が言っても価値がなく、ジョージ・オーウェルが言えば価値があるのでしょうか?
    もし、秋元孝文氏ご自身が、ご自分の発言に社会的価値があるとお考えなら、余分なジョージ・オーウェルを引き合いには出さないと思うのですが…
    何故、道端に佇む薄汚い老人が「核の壊滅的な脅威」を話しても、誰も歩を止めようとはしないのでしょうか?

    まあ、暇な折に、時折思い浮かべてしまう戯言です(^-^;

    いいね: 1人

    1. Simple10さん、ありがとうございます。
      誰が声をあげても価値は等価ですが、どこにも届かなければ意味がない、ということかと思います。秋元さんの場合は、ひとつは自身が訳したこの書籍に自身の言葉(意見)を載せる選択肢があった。もうひとつは、やはりビークルとして、オーウェルのメッセージの有効性をわかっていたからでしょう。
      話は変わりますが、何かの本で、本を買うときに著者の略歴を確認してから買う消費者の行動パターンがあると知りました。「誰が」それを書いているか、が重要視されているということなんでしょうね。Twitterのリツイート機能だって、このブログにしたって、同じようなものですが。

      いいね

  2. 秋月さん
    私の戯言にお付き合い下さり感謝致します。
    まずはお詫び致します…秋元孝文氏はオーエルの翻訳後の訳者の言葉として書かれたのですね…私は別件で書かれたものと誤解しておりました。

    秋月さんのご説明通りだと思います。

    絶対温度のような絶対価値という概念があるのであれば違うのかもしれませんが、一般的に言われます「価値」は余りにも相対的なものですので、等価という言葉が適用できるケースは少ないようにも思われます。
    ですから、発言者により効果が異なり、それによって聞き手が判断する価値も異なってきます。
    なんて書きましたが、良く分かっている訳でもありませんので、恐縮です。

    それよりも私が懸念(?)しますことは、民主主義を重んずる良識ある方々が小さな個人の言葉に価値を見いだせないことです。
    個⇒多数⇒民主主義(この逆はない)という基本が分かっておられないのかな~と思ったりもしましたが、今では、誰か社会的に認められた人々の判断に頼らなければ、自分自身で物事に対する判断ができない、あるいは、自信がないということなのだと思っています。
    なんか、淋しいですよね…

    いいね

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中