通り掛かりの中華料理屋のランチ用の看板に「豚肉とキクラゲの卵炒め」とあって、そういえばお腹が空いていたんだっけと思い出す。
悪い癖だとは思いつつ、定食のほかにもう1皿頼んでしまった。
僕は白胡麻たっぷりの坦々麺には目がないのだ。
通り掛かりの中華料理屋のランチ用の看板に「豚肉とキクラゲの卵炒め」とあって、そういえばお腹が空いていたんだっけと思い出す。
悪い癖だとは思いつつ、定食のほかにもう1皿頼んでしまった。
僕は白胡麻たっぷりの坦々麺には目がないのだ。
日経新聞に嬉野の地域おこしのことが書いてあって、前に訪れたのはいつだったかなと記憶を辿ってみたが正確には思い出せない。
少なくともその時期にはTea Tourism (お茶ツーリズム) なんて言葉は使われていなかったし、お茶をゆっくり堪能する心の余裕なんかも当時の自分は持ち合わせていなかったのだろう。
おいしいお茶と、それを味わえる空間があって、伝統ある宿には温泉まであるのだから、それだけでももう一度訪れてみる理由はあるなと思った。
気持ちのいい日曜の朝には、教会を思い出す。
米国人のホストファザー (僕の幼なじみのお父さん) は石油メジャーと呼ばれる某大企業に勤めていて、朝の4時〜5時には家を出てオフィスで働き、昼過ぎにはもう帰ってきて僕たちをフットボールやライブハウスに連れ出してくれた。
日曜日には毎週ミサに行くことになっていて、僕もなんとなく皆に混ざって聖書の一節を読んだり、歌ったりして、それが終わると教会の近くの小さなレストランに寄り、家族みんなで食事をした。
とびきりジューシーな肉と、濃厚なドレッシングのかかったサラダ、片手で持てないくらいのカップに入ったコーラ。
歴史も文化も、働き方も違う異国の地で、僕もこういう風に家族ってのを作ればいいのかななんて思ったのを覚えている。
別にクリスチャンでもない僕は、もう日曜日に教会へ出掛けることもないけれど、あんな風に皆で歌ったりすることはもうないのかなと思うと、ちょっぴり寂しさをおぼえたりもする。
それでやっぱり、コーラが飲みたくなるのだ。