GastronomieSafari

年越し蕎麦

さてさて、なんだかんだで忙しかった今年の師走もおしまい。

朝から家族で深大寺へお詣りして、のんびり蕎麦を食べる。

持ち帰りの蕎麦は、家で温かいつゆを作って皆でふーふー言いながら食べる分。

Lectio

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊い

- 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向こう三軒両隣りにちらちらする唯の人である。

唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越すことはあるまい。

あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶 (なお) 住みにくかろう。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容 (くつろげ) て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。

ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る -

夏目漱石 『草枕』

Lectio

ただし、はるかな古代、草原は人間だけは棲息しがたかった

-採集すべき木ノ実もないし、けものに近づこうにも、一望の平坦地であるために相手が遁げてしまう。

採集時代の人間はやはり森のある土地がその棲息の適地で、

農耕時代になると、人間たちは森から出て低地に棲み、河の氾濫が繰り返される湿潤の地やオアシスで穀物などを栽培した。

むろん、この段階においても草原は見捨てられた地だった。

「草原に住む」

という暮らしのシステムを考えついた偉大な民族は、スキタイであった-

司馬遼太郎 『天山の麓の緑のなかで』

SafariSpiel

採集時代の記憶

息子が団栗 (どんぐり) を集めてきた。

丸々としたもの、細長いもの、赤っぽいもの、帽子を被っているもの(椎の実?)。

そのいくつかを石で割ってみると、思いのほか綺麗な色の実が出てきた。

食べられないのと問われ、「食べられないこともないけど、今はね」と曖昧に答えて散歩を続けた。

あるいは一欠片くらい食べさせてみても良かったのかもしれない。