
-バルザックが、小説は荘厳な虚偽であるから細部の真実に支えられなければならぬ、と云ったのは、私の言う意味とは少しちがっていて、
私のは、登場人物が、急に駆け出すときにどんな駆け方をしたか、とか、泣きそうになって涙を抑えたときにどんな表情になったか、とか、
彼女の微笑に際してどのへんまで歯が露われたか、とか、ふりむいたときに衣服の背の皺 (しわ) がどんな風になったか、とか、
そういう些末な描写に対する不断の関心と飽かぬ興味が、読者としての私の中にも牢固として根を張っているからである-
三島由紀夫 / 日記 『昭和33年4月19日(土)』