Lectio

人間はどうも自分の誕生以前のことは、親身になって考えられないらしい。

- 戦後五十年よりも、十四歳から六十四歳に至る自分の五十年のほうが私にははるかに気になる。

時代がどう変わったかということと、自分がどう変わったかということはもちろん切り離せないが、それをどっちがわから見るかによってか、見えてくるものは随分ちがってくるだろう。

いずれにしても見えてくるものよりも、見えないもののほうが多いのだし、人並みはずれて忘れっぽい私はその五十年のどさくさの中で、はっきり目に残っているものの一、二を挙げるしかない-

谷川俊太郎 『五十年という歳月』

本当に「見えないものの方が多い」なといつも思う。

少し遅れて見えてくる場合もあるし、随分と後になってそうだったのかと気付くこともある。

でもまぁそういうものかなというある種の諦めと、だからこそ時々後ろを振り返る楽しみがあるのかなとも思う。

Lectio

いやどのみち、自分にはあらゆる点で風変りなところがあるのだ。自分は孤独で、きちんとした平凡な人たちからは仲間はずれにされているのだ。

-ときたまハンスは自分の近くに寄ってきて、自分のものになってくれる、それはそうだ。

一体その人はどんなふうにして王様を裏切ったんだい、トニオ君。

ハンスはこうたずねて、腕を組んだではないか。

けれどもそれからあのイムメンタールがやってくると、やれやれといった格好で、自分を見捨てて、なんの理由もないのに自分の耳慣れぬ名前を非難するのだ。

そういうことすべてを見抜かざるをえぬとは、なんという苦しいことだろう。…ハンス・ハンゼンは、二人きりのときは嘘ではなく自分を好いていてくれるのだ-

トーマス・マン 『トニオ・クレーゲル』