
信楽焼とか益子焼とか
焼き物って、見ても触っても楽しいし、
ちょっとした贈りものに丁度いい。
信楽焼とか益子焼とか
焼き物って、見ても触っても楽しいし、
ちょっとした贈りものに丁度いい。
自分なりにお気に入りの店はあったのだけど、遠方のお店は残念ながらまだしばらく行けそうにない。
ウィズコロナにおける夫婦内の結論としては
(もちろんお店で蒸したて焼きたてを食べる程ではないにせよ)
「持ち帰りのウナギもなかなか良いね」というものなのだけど、『出前の鰻』も良い。
テイクアウトの場合どうしても使い捨ての容器になりがちだけど、出前だと (たとえ後で洗って返すにしても) 御重を箸でカツカツ鳴らしながら食べることができる。
それだけで何だか妙に美味しく感じてしまったりして。
中庭に ひびきわたるのは、
とりの さえずりや
どうぶつたちが みずをのむ おとだけ。
イザベル・ジムレール 『はくぶつかんのよる』
子どもと「分けっこ」して食べようとすると、やっぱり自分の分はチョットだけでも良いかな、と思う。
桃はちょっぴりでも、もらえる幸福感は大きい。
- その強い、自分をまげない処 (ところ) が特に自分を感心させた。
無者がどこまでも自己を尊敬して立って行く態度に殊 (こと) に引かれそれを羨ましく思った。そして自分ももっと強くなりたいと思った。
柳を通じて武者 〔武者小路実篤〕ともじき知り合になった。始めは画を見に行ったものだが、それより話をするのが何ともいえぬ楽しみだった。
これまで、そういう友達を持つ機会のあまりなかった僕にとってこの事は本当に、第二の誕生といっていい位の力強い事だった -
岸田劉生 『思い出及今度の展覧会に際して』
なんとなくピンと来たのでティーポットを新調。
日々のルーティンを少しずつ見直し、(もちろん例年のような自由さはなくても) 旅行や小説によって非日常へトリップする、この両輪でコロナ禍をなんとか生き延びている。
ぼーっとしながらコーヒーや紅茶を飲む時間、あるいはそれらを淹れる時間というのはこの日常と非日常の狭間にあるような気がしている。
世の中にはカフェイン入りの飲みものが溢れていて、その世界にどっぷりと浸かっている僕は朝のうちに珈琲か紅茶を飲まないと頭がスッキリしない。
忙しくてウッカリ忘れてたりすると午後から頭が痛くなったりする。
中毒、なんてわざわざ毒々しい字をあてるのはどうかとも思うけれど、コレなしでは生きられない以上はたしかにそうか、なんて思いつつ。
炎天下で団扇を扇いだって、冷んやりとした空気はつくれない。
やっぱり室内に逃げ込んで、冷風のもとで団扇をパタパタ。それからブルーハワイをひと口。
- ほっそりとした光がドアの下に洩れて、父の声が『みどりの卵とハム』を読んでいた。二人でベッドに入っているのだろう。
枕をならべて、真ん中に本があって、父が読む本のページをアカーシュがめくる。
ルーマはほとんど暗記してしまった本だが、父は初めて遭遇したに違いない。
たどたどしくて、文と文のつなぎ目で考えるような間ができる。ふだんの父らしからぬ芝居っ気を込めようとしていた -
ジュンパ・ラヒリ 『見知らぬ場所』
アンニョン・タル 『すいかのプール』
僕も さっく さっく とスイカのうえを素足で歩くのやってみたい。