
美術館に何を望んで行くのかと言えば、「なにか新しいこと」だろうか。
いや、どうも違うなと思う。
自分と別にご縁があったわけでもない作家の絵を観ていても時々、むかし自分にもこんなことあったよなって感覚におそわれることがある。
自分のなかの曖昧な記憶とか、もうだいぶ昔に忘れてしまった大事な何かを思い出しに行っているのかもしれないなと思ったり。
美術館に何を望んで行くのかと言えば、「なにか新しいこと」だろうか。
いや、どうも違うなと思う。
自分と別にご縁があったわけでもない作家の絵を観ていても時々、むかし自分にもこんなことあったよなって感覚におそわれることがある。
自分のなかの曖昧な記憶とか、もうだいぶ昔に忘れてしまった大事な何かを思い出しに行っているのかもしれないなと思ったり。
散歩していると喉が渇く。
そういえばこの辺りでおいしい日本茶が飲めたっけなと思って、ふらりと茶店に立ち寄る。
「今日は気持ちのいい天気ですから、お外にテーブル出しましょうか」とお店の方から素敵な提案を頂く。
お願いします、と返事をして外をふらふら。
その頃にはもう、店内で目が合ったプルプルのわらび餅のことで頭がいっぱいになっている。
前から気になっていたお店に入り、
ちびちび呑みながら肴を頂いて少し良い気分になる。
〆は、このお店のファンが毎年この季節を楽しみにしているという『たけのこと塩こんぶのチャーハン』なるものをオーダー。
塩こんぶの旨味とバターの香りをまとった旬の竹の子。
家族に披露できそうなレパートリーが増えた夜。うまく作れるかはわからないけれど。
気持ちよく晴れた日曜の朝には美術館を歩きたい。
小ぶりな美術館の場合、それほど脚が疲れるわけでもないのだけれど
中庭に抜ける扉を見つけると、つい吸い込まれるように外へ出て、木製のチェアに腰をおろす。
考えてみればここは美術館の一部であって我が家ではないし、年に何度も通うわけでもないのに何故こうも落ち着くのだろうと、いつも感心してしまう。
ひさしぶりに実家へ戻る用事があって、結婚してからはこういう機会もなかなか無いので一泊させてもらうことに。
父から「夕飯は思い切って●● (地元の名店) の鰻弁当にしようか」とLINEが入る。
もうあと何時間かで大好物のウナギが食べられるかと思うと、片道1時間ちょっとのドライブが随分楽しく感じられるもので、
幸福感みたいなものは案外かんたんに得られるものなのかもしれないと思ったりした。
- あなたにも覚えがあるでしょう、生れた所は空気の色が違います、
土地の匂いも格別です、父や母の記憶も濃 (こまや) かに漂っています。
一年のうちで、七、八の二月 (ふたつき) をその中に包まれて、穴に入った蛇のように凝としているのは、
私に取って何よりも温かい好い心持だったのです -
夏目漱石 『こころ』
たくさん歩いた日は「夜食にドーナッツ」も可とする。
揚げもの、焼きもの、炒めもの…と格言のとおり茶色い食べものは総じて美味い。
なかでもこの穴のあいた甘くてフカフカした食べものには目がない。
- 井荻村 (杉並区清水) へ引越して来た当時、川南の善福寺川は綺麗に澄んだ流れであった。
清冽な感じであった。知らない者は川の水を飲むかもしれなかった。
川堤は平らで田圃のなかに続く平凡な草堤だが、いつもの水量が川幅いっぱいで、
昆布のように長っぽそい水草が流れにそよぎ、金魚藻に似た藻草や、河骨 (こうほね) のような丸葉の水草なども生えていた -
井伏鱒二 『善福寺川』
- 庭の日かげはまだ霜柱に閉じられて、
隣の栗の樹の梢 (こずえ) には灰色の寒い風が揺れているのに
南の沖のかなたからはもう桃色の雲がこっそり頭を出してのぞいているのであった -
寺田寅彦 『春六題』
小さい頃は桜と紅葉くらいにしか関心が持てなかったはずなのに。