
昨日はひさしぶりに車で遠出する用事があって、テイクアウトの珈琲でサンドイッチを流し込みながら「なんて合うんだろう」とか言いながらドライブを楽しんだ。
今日は今日でレモンケーキを食べながら「こんなにコーヒーに合うものもなかなか無いよな」なんて呟いている。
昨日はひさしぶりに車で遠出する用事があって、テイクアウトの珈琲でサンドイッチを流し込みながら「なんて合うんだろう」とか言いながらドライブを楽しんだ。
今日は今日でレモンケーキを食べながら「こんなにコーヒーに合うものもなかなか無いよな」なんて呟いている。
- そのころはまだ、イタリア語で歌われている歌詞の意味が分からなかったため、
カルーゾが復讐に燃えているのか、新大陸の発見に歓喜しているのか、皆目見当がつきませんでした。
でも、そんなことは少しも気にならなかったのです。
カルーゾの声そのものが心に深く染み通るものでしたので、歌詞を頼りに音楽を楽しむという気になれなかったからです。
わたしが音楽から聴きとったのは、演奏者の魂が自分の魂に直接呼びかける声だったのです -
ドナルド・キーン / オペラとの出会い
暑くなってくると途端に心太 (ところてん) が食べたくなる。
いや、然程暑くない時期でも食べてるかもしれない。
青のりの香りと、ところてんの喉ごしが色んなものを流していってくれる。
スマートフォンで小説や雑誌が読める時代になっても相変わらず文庫本が手放せない。
ベッドや床にゴロンとしながらでも気軽に読めて、
散歩する時にも片手で持ち歩くことができて、珈琲を待つひとときを至福の時間にしてくれる。
古い街には文庫を置いている喫茶店なんかもあって、書棚を眺めながらどことなく僕のラインナップと似ているな、なんて思ってニヤついてしまったりして。
オジサンと呼ばれる年齢になってはじめてわかったのは
この世界は無数のおじさん (その他、老若男女諸々含む) 達のおかげでなんとか成り立っているのだ、ということ。
将来、自分の子どもから「パパは何の仕事してるの」と聞かれたとして、
「お父さんは電車の運転手だよ。お前たちをあっちの街からこっちの街へ運ぶんだ」
なんて胸を張って言えるような仕事をしてる人達のことを、ちょっぴり羨ましく思った。
僕は一体、社会の何の役に立っているだろうか。
- 見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです。
「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら?
もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?」と -
レイチェル・カーソン 「センス・オブ・ワンダー』
長い間リビング用のティッシュケースを探した末に、
「そもそも木やプラスチックの箱に拘る必要もないのだ」ということに漸く気付いた。
以前フォルクスワーゲンのピックアップトラックのミニカーを買ったお店を再訪してみると、そこで運命の出会いが。
息子と父は言葉も交わさずにレジへ走ることになった。
それにしても、ヨーロッパ車のデザインが我々のような異文化で育った民族をも魅了するっていうこと自体なかなか凄いことだよな、なんてあらためて感心してしまった。
雑誌で見かけたHOHNERのハーモニカがどうしても欲しくなって、こども達にお揃いでプレゼントしてしまった。
生まれて初めて吹く子供たちの、途切れ途切れの美しい音色が僕を懐かしいあの頃に連れていってくれる。
チーズケーキを食べるようになったのがいつだったか、よく覚えていない。
レアがいいなという時期もあったし、ベイクドチーズなら何でも、という時期もあったけど
最近は少しチョイ足しされているのが好きかもしれない。
無花果 (いちじく) が混ぜ込まれたものと迷って結局こちらに。なんとなく懐かしい味。
実家に帰るときは、なにかしらお酒を買っていくことにしている。
記憶のなかの若い父は毎日晩酌をしていたし、歳をとって量は減らしたようだけれど、その分なにやら楽しそうに呑むようになった。
ひさしぶりに帰ると以前この家で過ごした頃のことを忘れたようにソワソワとしてしまうのだけど、定番のおつまみが出てくる頃にはすっかり馴染んでいる。
昔と変わったのは、僕がワインをあけると「私も少し頂こうかしら」と母も時々仲間に加わるようになったことだろうか。