Lectio

「もうこの仕事はやらないんだね」「ええ、今年の夏はね」

- 僕はライトバンから電動芝刈機と芝刈ばさみと ” くまで ” とごみ袋とアイスコーヒーを入れた魔法瓶とトランジスタ・ラジオを出して庭に運んだ。

太陽はどんどん中空に近づき、気温はどんどん上っていた。

僕が道具を運んでいるあいだ、彼女は玄関に靴を十足ばかり並べてぼろきれでほこりを払っていた。靴は全部女もので、小さなサイズと特大のサイズの二種類だった。

「仕事をしているあいだ音楽をかけてかまいませんか」と僕は訊ねてみた。

彼女はかがんだまま僕を見上げた。「いいともさ。あたしも音楽は好きだよ」 -

村上春樹 『午後の最後の芝生』

若い頃に芝刈りのアルバイトをした経験なんてないのだけれど、時折この小品を読み返しながら、学生時代に感じていたある種の心の震えみたいなものを味わっている。

「記憶というのは小説に似ている、あるいは小説というのは記憶に似ている。」

たしかにそうだ。

Lectio

「夏」とは一つの気候であるが、しかしその気候は人間の存在の仕方である。ただ気温の高さと日光の強さとのみでは我々は「夏」を見いださない。

- シンガポアについた夕暮れ、町へドライブに出かけた旅行者は、草木の豊かに生い茂った郊外でにぎやかに鳴いている虫の音を聴いた時、

あるいは露店の氷屋や果物店が立ち並んでいる間に涼みの人たちが白い着物で行き来する夏の夜の町の風景をながめた時、

初めて強く「夏」を感じ、近い過去に日本に残して来た「冬」との対照を今さらに驚くのである -

和辻哲郎 『モンスーン』

Lectio

山があるから

もし地球外生命体なるものがいたとして、

彼らがたまたま偵察に来た際に見たのがこの場面だとしたら、どう思うのだろうか。

自然に恵まれた地球という惑星で最も険しいと思われる場所を、さして強靭でもなさそうな人間という生物が列を成してゾロゾロ歩いている。

どう見ても食糧を得るためではなさそうだし、かといって資源獲得のためでもない。

もし万が一、登山者の一人が捕らえられ、理由を問われたとしたら、やはりあの台詞を吐くのだろうか。

Lectio

我々は ” 空気の爽やかさにおいて ” 我々自身を了解している。

- 爽やかなのは己れの心的状態ではなくして空気なのである。

だからこそ我々は、他人の心的状態に目を向けるというごとき手続きを経ることなく、直接に互いの間において「いいお天気で」「いい陽気になりました」などと挨拶する。

我々はともに朝の空気の中へ出て、ともに一定の存在の仕方を背負うのである。-

和辻哲郎 『人間存在の風土的規定』

Lectio

バーバパパは まちをあるきまわったけど、くるまにびくびくしどおしでした。どこにも いくところが ないのです。

– フランソワは バーバパパを みて、 びっくりしたけど、

ふたりは すぐ なかよしに なりました。

でも フランソワの おかあさんは、

「バーバパパは おおきすぎるから うちへおいとくわけには いかないわ。」

と、いうんです。-

アネット・チゾンとタラス・テイラー 『おばけのバーバパパ』

LivingStyle

しまうま

モチモチした赤ん坊を抱えた状態で何か作業をすることが増えたので、あらためて体幹鍛え直したりしている。

それにしても最近の子ども服やらベビー服やらは質感といい、柄といい、なかなか良い。

自分でもこういうフワッとした絵がサラサラと書けたらいいのにな、なんて思ったり。