Lectio

私の顔なんか、今に毎日毎晩で珍らしくなくなるんですから

- 北を向いてほしいと思いながら私は祖父の顔を見つめていたし、相手が盲目だから自然私の方でその顔をしげしげ見ていることが多かったのだ。

それが人の顔を見る癖になったのだと、この記憶で分った。私の癖は自分の家にいた頃からあったのだ。

この癖は私の卑しい心の名残ではない。

そして、この癖を持つようになった私を、安心して自分で哀れんでやっていいのだ。

こう思うことは、私に躍り上りたい喜びだった。

娘のために自分を綺麗にして置きたい心一ぱいの時であるから、尚更である。

娘がまた言った。

「慣れてるんですけど、少し恥かしいわ。」-

川端康成 『日向』

GastronomieLectio

サバの冷や汁

なぜか長いこと食わず嫌いの対象になっていた『冷や汁』に挑戦。

暑くなってくるとシャキシャキさらっとしたものが食べたくなる。

熱々のご飯のうえに冷や汁 (サバに大葉、木綿豆腐、塩をふったキュウリ、すりごま、味噌等を混ぜて冷蔵庫で寝かせたもの) をぶっかける。

日本の味。

Lectio

七夕の夜、天の河で会う彦星と織女星のために、かささぎたちがつばさを重ねて橋をつくる。

- 友だちが「かささぎだ。」と言って、廊下で見ていた時、私は座敷のなかに坐ったまま、

「六七羽から-そうだな、十羽ほども、よく庭へ来ているんだ。」と言ったが、立って行って友だちといっしょに見ようとはしなかった。

もう見なれて、目になじみの鳥だからだ。廊下へ出て鳥を見るよりも、その鳥の名を私は思っていた。

「かささぎ」という名を聞くと、その鳥がたちまち私の情感にしみこんで来たからだ。

「かささぎ」という名を知った今と、知らなかった前とでは、その鳥は私にはもはや同じ鳥ではなくなった-

川端康成 『かささぎ』

僕はまだこの世の中のどの鳥が「かささぎ」なのか知らないでいる。

これから「かささぎの渡せる橋」のことを思い浮かべるたびに、この川端康成の『かささぎ』を思い出すことになるかもしれないな なんて思ったり。

GastronomieLectio

野菜のうまみがそのままスープの味

- 旬の野菜はおいしいだけでなく、値段も安く、しかもその季節の体に適した栄養が詰まっています。

(中略)

逆に、同じ野菜でも季節から外れると、名前を変えた方がいいのではないかと思うぐらい、魅力のないものになってしまうのです-

有賀 薫 『スープ・レッスン』

コロナ禍による “にわか料理人” の僕でも「名前を変えた方が」のところには大いに共感できる。

夏に食べる胡瓜は他の季節に食べるものとは全く別物だし、冬に食べる大根も他の季節に食べるものとは全然違う。

GastronomieLectio

そうして、珈琲の効果は官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする点でいくらか哲学に似ている。

- 始めて飲んだ牛乳はやはり飲みにくい「おくすり」であったらしい。それを飲みやすくするために医者はこれに少量の珈琲を配剤することを忘れなかった。

粉にした珈琲を晒木綿 (さらしもめん) の小嚢にほんのひと抓みちょっぴり入れたのを熱い牛乳の中に浸して、漢方の風邪薬のように振出し絞り出すのである。

とにかくこの生れて始めて味わったコーヒーの香味はすっかり田舎育ちの少年の私を心酔させてしまった。

すべてのエキゾティックなものに憧憬をもっていた子供心に、この南洋的西洋的な香気は未知の極楽郷から遠洋を渡ってきた一脈の薫風のように感ぜられた-

寺田寅彦 『珈琲哲学序説』