IdeaLiving

住まいというもの

コロナ前と後でなにが変わったかというと

「どう暮らすか」ということを日々考えるようになったことかなと思う。

それは「何に価値を見出して暮らすか」ということでもあるけれど、衣食住とはよく言ったもので、普段触れるもの、口にするもの、寝る場所が生活を決めるんだなということがこの一年でよくわかった。

足裏から伝わる床の感触、窓から入ってくる光の加減、風の抜け具合、そういうひとつひとつが長い年月をかけてそこで暮らす人たちを形づくっていくのかもしれない。

なんてことをモデルルームを見学しながら思ったして。

IdeaLectio

一時

スマートフォンで小説や雑誌が読める時代になっても相変わらず文庫本が手放せない。

ベッドや床にゴロンとしながらでも気軽に読めて、

散歩する時にも片手で持ち歩くことができて、珈琲を待つひとときを至福の時間にしてくれる。

古い街には文庫を置いている喫茶店なんかもあって、書棚を眺めながらどことなく僕のラインナップと似ているな、なんて思ってニヤついてしまったりして。

IdeaLiving

オジサン

オジサンと呼ばれる年齢になってはじめてわかったのは

この世界は無数のおじさん (その他、老若男女諸々含む) 達のおかげでなんとか成り立っているのだ、ということ。

将来、自分の子どもから「パパは何の仕事してるの」と聞かれたとして、

「お父さんは電車の運転手だよ。お前たちをあっちの街からこっちの街へ運ぶんだ」

なんて胸を張って言えるような仕事をしてる人達のことを、ちょっぴり羨ましく思った。

僕は一体、社会の何の役に立っているだろうか。

IdeaStyle

曖昧な記憶と

美術館に何を望んで行くのかと言えば、「なにか新しいこと」だろうか。

いや、どうも違うなと思う。

自分と別にご縁があったわけでもない作家の絵を観ていても時々、むかし自分にもこんなことあったよなって感覚におそわれることがある。

自分のなかの曖昧な記憶とか、もうだいぶ昔に忘れてしまった大事な何かを思い出しに行っているのかもしれないなと思ったり。

IdeaStyle

日曜日の庭

気持ちよく晴れた日曜の朝には美術館を歩きたい。

小ぶりな美術館の場合、それほど脚が疲れるわけでもないのだけれど

中庭に抜ける扉を見つけると、つい吸い込まれるように外へ出て、木製のチェアに腰をおろす。

考えてみればここは美術館の一部であって我が家ではないし、年に何度も通うわけでもないのに何故こうも落ち着くのだろうと、いつも感心してしまう。

IdeaLiving

土地土地 (とちとち) の味

どの地域の、どの農園にどういうコーヒーの木があって、どういう味がするのかというのは一消費者として浪漫があるなと思うし、

定期的に違った珈琲豆を仕入れてきてコポコポ淹れるだけで日常を彩り豊かにしてくれる気がする。

IdeaLiving

いつか帰る場所

子どもたちにとって、いつか帰ることができる場所を確保しておいてあげることは大切なことなんだろうな。

いや、それは子どもたちだけじゃなくて、僕たちオトナにとってもそうかもしれない。

IdeaLiving

小さな世界では

子どもの目で見ると、冬が近付くこの季節も

まだまだ生きものたちで溢れているらしい。

目に見えるもの、見えないもの、耳で聴こえるもの、聴こえないもの。

そういうあれやこれやで世界はできている。

IdeaLiving

ゴロリ

ウィズコロナの世界では瞑想が人気らしい。

僕も時々それっぽいことをやってみるけれど、体質的に合わないのか、リラックスはできても何となく次への活力みたいなものが湧いてこない。

それよりは、考えごとをしながらでも良いからゆっくり散歩して、歩くのに疲れたら芝生やベンチに少しの間ゴロンとして、空を見上げたりする方が自分にはしっくりくる。

帰り道は、気持ち早足で帰ったりして。