IdeaSpiel

Podcastの楽しみ

電車が混んでいると本をひらくのが難しい場合もあって、そういうときは大体Apple Musicに頼っている。

それでも「今日は音楽の気分じゃないな」ってときもあって、そうなるとポッドキャストで『バイリンガルニュース』を聴いていることが多い。

一般に「英語のヒアリングに役立つ番組」として人気なんだと思うけれど、純粋にコンテンツとして面白い。

同世代 (多分) の彼らが選び出すトークテーマや切り口、どこまで掘り下げるかみたいなところが自分の好みにピタリとハマる回が多くて、割と楽しみにしている。

これを取り上げよう、こういう風にやってみよう、という”着想”の大切さをこのコンテンツはあらためて教えてくれる。

彼らは芸術におけるキュレーターみたいな役割なんだろうなと勝手に解釈して、頭の中でフムフム言いながら (たまには声に出ちゃってるかもしれない) 聴いている。

IdeaLectio

自分の身体の中がどうなっているのかわからないのと似ています。胃や腎臓のことがわからなくても生活はできる。

-中身がわからなくてもそれなりに使えるようになってきてる。

言わばブラックボックス化が完璧になりつつある-

山本 貴光 『コンピュータのひみつ』

自分のなかでブラックボックス化してしまった部分が拡がっていくにつれて、夏目漱石が “私の個人主義” で書いていたような時代になりつつあるなと感じる。

子どものために “おりがみ” で海老 (難易度高) を折りながらそんなことを思ったりして。

IdeaLectio

日常と非日常の間 (はざま) で

ずっと楽しみにしていたイベントが中止になったり、気分転換に窓を開けたら思いのほか花粉がひどかったり、街中からマスクやティッシュが姿を消していて困ったり、外で思い切り遊びたい子どもたちが部屋のなかで体を持て余してたり、

「こんな暖かい日曜日なのに」と、それは思わないでもないけれど、やれることはまだまだ沢山あるはず。

ワクワクできることだって、まだまだ沢山あるはず。

IdeaLiving

ロストワールド

今が仮に「何かが失われた時代」なんだとしたら、消えてしまったものはなんだろう。

それは “ひたむきさ” かなとボンヤリ思った。

自分がかつて本気でスポーツに取り組んでいたこともあって、全盛期を過ぎて、周囲から引退の2文字を突きつけられてもなおプロとしてのキャリアを捨てないベテラン達のプレーを観ると、胸が熱くなる。

彼らの何が僕を揺さぶるんだろう。

それはやっぱり彼らの直向きさとか、情熱とか、最後の薄皮いち枚くらいにかける執念とか、そういうものかなと思う。

たしかに便利でライトな世の中になったし、もうそんな時代じゃないよと言う人もいるだろうけど、結局のところ、僕が好きなのはそういうものなんだろうと思ったりした。

IdeaLectio

わたしは幼いときからこれらの本のあいだですごし、物語を鵜呑みにしていました。

-もし、祖父の世代の日本が民族主義の目から見た日本だとすれば、

母が漸次受け入れてきたものは、現代生活と現代化された日本を代表するものであり、当時のわたしがあこがれたものは、文学芸術のなかの「現代的な」日本であったと言えます。

ならば、わたしの子どもたちや学生にとっては、今日の日本、とりわけ東京という都市は、また別の様相を意味することになるでしょう-

四方田犬彦・也斯(イェース) 『往復書簡 いつも香港を見つめて』

世界はこの世にたった一つしか存在しない、とは僕は思っていない。

人の数だけそれぞれに世界があると思っていて、たとえば小説や映画、あるいは自分自身の思い出や家族から聞いた物語みたいなものがそれらを彩っているんだろう。

それが良いものであれ悪いものであれ、僕たちが僕たち自身で認識するセカイというのはそうやってできていくんだと思っている。