Lectio

いいよ。簡単なことばかりだ。

- 太陽はすでに空高く登っています。

昼めしまでに、緑の菜っ葉のスープを作らなければなりません。

さて、緑の菜っ葉とはなんでしょうか。緑というからには緑色なのでしょう。

あたりを見まわすと、緑色のものはおかみさんの新しいセーターしかありませんでしたので、

おやじさんはそれを細かく切り刻んで、鍋に入れました-

アンナ・クララ・ティードホルム 『仕事を取りかえたおやじさんとおかみさん』

Lectio

ものを創造すること

-マティスは意外にも画家として比較的遅咲きだったものの、

生涯にわたって実にさまざまなスタイルの絵や彫刻や素描などを数多く残しました。

晩年身体が思うように動かなくなっていたにもかかわらず、

自身の中から湧き上がってくるインスピレーションを形にするために、マティスは常に前へ前へと突き進んでいったわけですが、

アトリエで一人、礼拝堂の壁面のための大きなドローイングに集中する姿から彼の制作にかける意欲が見て取れるはずです-

河内タカ / アートの入り口

画家であった経験は自分にはないけれど、何かを描こうとするとき、目の前にあるものではなく自分の内面にある何かに衝き動かされている、という感覚はなんとなくわかる。

絵画や彫刻だけじゃなくて、あらゆる創造的行為というのは目の前にある物質を使って自身の内側にあるものを表現していく作業なんじゃないかと何となく思っている。

Lectio

ねえ、今日の一時間目は、図書室にしよう

- これは、君達の図書室だよ。ここにある本は、誰でも、どれでも読んでいい。

『何年生だから、どの本』とか、そういう事は考えることはないし、いつでも、好きなときに、図書室に入ってかまわない。

借りたい本があったら、家に持って帰って読んでいい。そのかわり、読んだら、返しとけよ。

家にあるので、みんなに読ませたい本があったら持って来てくれるのも、先生は、うれしいよ。

とにかく、本をたくさん、読んでください -

黒柳徹子 『窓ぎわのトットちゃん』

子ども達と図書館へ行くと、このくらいの年頃だとコレみたいな固定観念から

つい「今読むべき本」みたいなものを薦めたくなってしまうけれど、

当の本人たちが欲してるものは全然そんなものじゃなくて、僕なんかが選ぶよりもよっぽど面白そうな本を自分で見つけてくる。

そういう意味でも「図書館」という子ども達にとっての世界の入口は、未来のこの国にもちゃんと在って欲しいなと心から思う。

Lectio

わたしが音楽から聴きとったのは

- そのころはまだ、イタリア語で歌われている歌詞の意味が分からなかったため、

カルーゾが復讐に燃えているのか、新大陸の発見に歓喜しているのか、皆目見当がつきませんでした。

でも、そんなことは少しも気にならなかったのです。

カルーゾの声そのものが心に深く染み通るものでしたので、歌詞を頼りに音楽を楽しむという気になれなかったからです。

わたしが音楽から聴きとったのは、演奏者の魂が自分の魂に直接呼びかける声だったのです -

ドナルド・キーン / オペラとの出会い

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一時

スマートフォンで小説や雑誌が読める時代になっても相変わらず文庫本が手放せない。

ベッドや床にゴロンとしながらでも気軽に読めて、

散歩する時にも片手で持ち歩くことができて、珈琲を待つひとときを至福の時間にしてくれる。

古い街には文庫を置いている喫茶店なんかもあって、書棚を眺めながらどことなく僕のラインナップと似ているな、なんて思ってニヤついてしまったりして。

Lectio

しかし、目にはしていながら、本当には見ていないことも多いのです。

- 見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです。

「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら?

もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?」と -

レイチェル・カーソン 「センス・オブ・ワンダー』

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私には故郷 (ふるさと) がそれほど懐かしかったからです。

- あなたにも覚えがあるでしょう、生れた所は空気の色が違います、

土地の匂いも格別です、父や母の記憶も濃 (こまや) かに漂っています。

一年のうちで、七、八の二月 (ふたつき) をその中に包まれて、穴に入った蛇のように凝としているのは、

私に取って何よりも温かい好い心持だったのです -

夏目漱石 『こころ』

Lectio

私が不思議に思ったのは、この土地の人はこの綺麗な川に、なぜ鮎を放流しないのだろうということであった。

- 井荻村 (杉並区清水) へ引越して来た当時、川南の善福寺川は綺麗に澄んだ流れであった。

清冽な感じであった。知らない者は川の水を飲むかもしれなかった。

川堤は平らで田圃のなかに続く平凡な草堤だが、いつもの水量が川幅いっぱいで、

昆布のように長っぽそい水草が流れにそよぎ、金魚藻に似た藻草や、河骨 (こうほね) のような丸葉の水草なども生えていた -

井伏鱒二 『善福寺川』