Lectio

しかし、目にはしていながら、本当には見ていないことも多いのです。

- 見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです。

「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら?

もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?」と -

レイチェル・カーソン 「センス・オブ・ワンダー』

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私には故郷 (ふるさと) がそれほど懐かしかったからです。

- あなたにも覚えがあるでしょう、生れた所は空気の色が違います、

土地の匂いも格別です、父や母の記憶も濃 (こまや) かに漂っています。

一年のうちで、七、八の二月 (ふたつき) をその中に包まれて、穴に入った蛇のように凝としているのは、

私に取って何よりも温かい好い心持だったのです -

夏目漱石 『こころ』

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私が不思議に思ったのは、この土地の人はこの綺麗な川に、なぜ鮎を放流しないのだろうということであった。

- 井荻村 (杉並区清水) へ引越して来た当時、川南の善福寺川は綺麗に澄んだ流れであった。

清冽な感じであった。知らない者は川の水を飲むかもしれなかった。

川堤は平らで田圃のなかに続く平凡な草堤だが、いつもの水量が川幅いっぱいで、

昆布のように長っぽそい水草が流れにそよぎ、金魚藻に似た藻草や、河骨 (こうほね) のような丸葉の水草なども生えていた -

井伏鱒二 『善福寺川』

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日本の春は太平洋から来る。

- 庭の日かげはまだ霜柱に閉じられて、

隣の栗の樹の梢 (こずえ) には灰色の寒い風が揺れているのに

南の沖のかなたからはもう桃色の雲がこっそり頭を出してのぞいているのであった -

寺田寅彦 『春六題』

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人間の不安は科学の発展から来る。

- 進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まることを許してくれた事がない。

徒歩から車、車から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船、それから飛行機と、どこまで行っても休ませてくれない。

” どこまで伴 (つ) れて行かれるか ” 分らない。実に恐ろしい -

夏目漱石 『行人』

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私はロウソクを消した。

- 開いた窓から夜が流れこんで来て、

柔らかく私を抱き、私を友だちにし、兄弟にする。

私たちは共に同じ郷愁に病んでいる。

私たちはほのかな思いに満ちた夢を送り出し、

ささやきながら、私たちの父の家で暮した

昔を語り合う。-

ヘルマン・ヘッセ 『夜』

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馬は馬に似た神を、牛は牛に似た神を表現するだろう

- 美が絶対的で不変的なものであったことは一度だってないが、

それは時代や国によって、複数の異なる顔を見せてきた。

これは、物理的な美しさ (男性、女性、景色などの美しさ) にかぎったことではなく、キリストや、聖人や、イデアも然りだ -

ウンベルト・エーコ / 美しさ

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絵本の世界の入り口

もちろん背表紙だって大事だけれども、

やっぱり絵本の世界の入り口は『表紙』だと思っている。

手に取った時の子ども達の顔を見るのが親としての愉しみでもある。

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この見方によれば、善き生は一定の態度、美徳、品位を涵養することにかかっている。

- 西洋哲学の個人主義的倫理に代わるものとしての儒教倫理をどう特徴づけるかは、儒教研究者のあいだでも議論の的になっている。

多くの研究者が、儒教倫理はある種の美徳倫理学であり、アリストテレスのそれと似たものだと見なしている -

マイケル・サンデル 『中国哲学から学ぶ』