IdeaLectio

地球のウラ側で

小さな頃から”地球の裏側”とか”地球の反対側”とかという表現が好きで、ブラジルとかアルゼンチンとかチリとか、南米諸国には勝手な憧れがある。

そこには僕たちのクニとは全く違う生態系がひろがっていて、色とりどりのイキモノがそれぞれの暮らしをしていて、人々は陽気でおまけに良質のコーヒー豆なんかも獲れて…とか。

雑誌の挿し絵をパラパラしながらまたボーっとしてたら息子が興奮気味に抱きついてくる。

ヤドクガエルみたいな鮮やかなブルーは彼のお気に入りの色なのだ。

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明治・大正の洋食の匂い

-煉瓦亭の名物は、いうまでもなくカツレツなのだろうが、私は、この店の〔ハヤシ・ライス〕も好きである。

こってりと煮込んだのではなく、客へ出す間ぎわに、肉と野菜を”さっ”と炒め、ブラウン・ソースと合わせるのではないかとおもう。

むかし、子供のころに〔ハヤシ・ライス〕をはじめて食べたときのうまさは、私の年代の人たちならやいずれもおぼえているにちがいない-

池波正太郎 『散歩のとき何か食べたくなって』

フレンチとかイタリアンとかも勿論好きなんだけれど、”洋食屋さん”という、このわかるようなわからないような名称で括られたジャンルのお店が何より好きで、街で見掛けるとつい入ってしまう。

煉瓦亭はカツレツが名物とはなんとなく聞いてはいたのだけれど、ハヤシの誘惑には抗いがたく、そちらはいずれまたとお預けの状態になっている。

あぁ、でもオムライスとかカツサンドとかカニコロッケなんかも食べてみたい、ああグラタンも…

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それが ことによくすみわたつた日であるならば

-そして君のこころが あまりにもつよく

説きがたく 消しがたく かなしさにうづく日なら

君は この阪路 (さかみち) をいつまでものぼりつめて

あの丘よりも もつともつとたかく

皎皎 (こうこう) と のぼつてゆきたいとは おもわないか

八木重吉 『秋の瞳』

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コノアタリ、故山ニ似タリ。

-なるほど二百年近くも相成り、しかもこの国の厚恩を受けてかように暮らしております上はなんの不足があるはずもございませぬが、ひとの心というものは不思議のものにて候。

故郷のことはうちわすれられず、折りにふれては夢のなかなどにも出 (いで) 、昼間、窯場にいてもふとふるさと床しきように想い出されて、

いまも帰国のこと許し給うほどならば、厚恩を忘れたるにはあらず候えども、帰国致したき心地に候-

司馬遼太郎 『故郷忘じがたく候』

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がぶがぶ湧いてゐるですからな

-こんなにのんきで苦しくないのは

魂魄なかばからだをはなれたのですかな

たゞどうも血のために

それを云へないがひどいです

あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが

わたくしから見えるのは

やっぱりきれいな青ぞらと

すきとほった風ばかりです-

宮沢賢治 『眼にて云ふ』

最期の瞬間にそういう心持ちになれるかどうか、今の僕にはわからないけれど、そのような自分でいられたらいいなとは思う。

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西へ行く日の、果(はて)は東か

-ある時サローンにはいったら派手な衣装を着た若い女が向うむきになって、洋琴 (ピアノ) を弾いていた。

そのそばに背の高い立派な男が立って、唱歌を唄っている。その口が大変大きく見えた。

けれども二人は二人以外のことにはまるで頓着していない様子であった。

船に乗っていることさえ忘れているようであった-

夏目漱石 / 夢十夜 『第七夜』