Lectio

Crime does not pay

-ドゴールは何度も暗殺されかけたが、いつもきわどいところですりぬけることができ、ベッドで死んだ将軍の一人として悠々と彼岸へ去っていった-

開高 健 『悪夢で甘く眠る』

Lectio

あの湖に何匹、あの谷川に何匹、おれの魚が棲んでいるのだと考えると、まるでその湖や川が自分のものになったような気がしてくるのである

-トルストイ伯爵が白樺林の領地を検分にでかけるように回想にとりかかり、純然と私のものであるアラスカの川、アイスランドの川、スウェーデンの湖と川、バイエルンの高地の湖と川…ひとつひとつ岸にたって水を覗き、岩の姿を眺め、森の栄養度を観察する-

開高 健 『太平洋を自分のものにする方法』

LectioSafari

このままでは嬉野がしまえる(なくなる)

日経新聞に嬉野の地域おこしのことが書いてあって、前に訪れたのはいつだったかなと記憶を辿ってみたが正確には思い出せない。

少なくともその時期にはTea Tourism (お茶ツーリズム) なんて言葉は使われていなかったし、お茶をゆっくり堪能する心の余裕なんかも当時の自分は持ち合わせていなかったのだろう。

おいしいお茶と、それを味わえる空間があって、伝統ある宿には温泉まであるのだから、それだけでももう一度訪れてみる理由はあるなと思った。

Lectio

お嬢さんの顔を見るたびに、自分が美しくなるような心持がしました。

-私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。

私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、あなたは変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。

本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。

私は他 (ひと) を信じないと心に誓いながら、絶対にお嬢さんを信じていたのですから-

夏目漱石 『こころ』

LectioStyle

天平文化、大陸からの風

NHKの”日曜美術館”は正倉院展特集だった。

番組のなかで宝物のうち、いくつかが取り上げられていたけれど、1,300年前に聖武天皇が履いた靴 (のうのごらいり?) とか螺鈿の箱なんて、今の時代にも全く色褪せない…。

情報過多な現代にあっても美しいと思えるようなこれらの品々は、当時のこの国に生きた人々の目にはどう映ったのだろう。

螺鈿 (らでん) の箱。黒漆に散りばめられているのは夜光貝?

どうにか時間を見つけて上野まで駆け付けて、琵琶と蘭奢待 (らんじゃたい) だけはこの目で見たい。

Lectio

長い手紙

-夫が死んだとき、北海道の修道院にいたしげちゃんから、だれからももらったことのないほど長い手紙がイタリアにいた私のところにとどいた。

卒業以来、彼女からもらった、はじめての手紙だった。

むかしのままのまるっこい書体で、私の試練を気づかうことばが綿々とつづられていた。

こころのこもったそのことばよりも、なによりも、私は彼女の書体がなつかしかった。

修道女になっても、まだおんなじ字を書いてる、と私は思った-

須賀 敦子 『遠い朝の本たち』

手紙もいいな、と思った。

小さい頃に、まだ元気だった祖母に宛てて書いた短い手紙のことを思い出した。下手っぴな字で、いつまでも元気でいてねと書いたその時の気持ちは今でも覚えている。