Lectio

薄明かり

煌々とした明かりの下よりも、さりげなく、優しい明るさの方が本の世界に浸れる気がする。

部屋のなかの陰翳が物語や自分の頭のなかの曖昧さに似ているのかもしれない。

古い時代の本を読むことに長いこと没頭して、いつのまにか喉が渇いていることに気付く。

水をひと口ふくみ、ふと目をあげるとそこにはボンヤリとした明かりが点いている。安心して元の世界に戻る。

Lectio

うまく歳をとるというのはむずかしいものだと思います。

- 僕も歳をとるのは初めてのことなので、うまくできるかどうか、実を言うと自信はありません。

「幕引き」というのも、自分で決められることではないような気もします。

でもできるところまでは、自分のペースを確実に保ち続けたい、それが僕の考えていることのすべてです。-

村上春樹 / 雑文集

Lectio

歴史とは現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話

- 私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについて、その時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。

また現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行ない、

さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行なっています。

そのようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと私は思います。-

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 加藤陽子

Lectio

暦の上の季節はいつでも天文学者の計画したとおりに進行していく。

- 吾々がもっている生理的の「時」の尺度は、その実は物の変化の「速度」の尺度である。

万象が停止すれば時の経過は無意味である。

「時」が問題になるところにはそこに変化が問題になる四元世界の一つの軸としてのみ時間は存在する。

ところがこの生理的の速度計はきわめて感じの悪いものである。

ある度以下の速度で行われる変化は変化として認める事ができない。

これはまた吾人が箇々の印象を把持する記憶の薄弱なためとも言われよう。-

寺田寅彦 / 春六題

Lectio

私の一生はたださがし物をするために生れてきたようなものである。

- これはなんだかバカらしいような、さびしいようなことであるが、

考えて見れば、入学も、就職も、恋愛も、結婚も、世上万般のこと、すべてこれ捜索ではないか。

私のさがし物も、人の世によくあることを、私もまたやっているということにしておこう -

入江 相政 『侍従とパイプ』

Lectio

だが、そもそもアテナイが帝国をめざしたのはなぜだろうか?

- 古代ギリシアは、程度の差はあれ独立した数百もの小さな都市国家によって構成されており、

これらの都市国家は同盟のパターンを万華鏡のように絶えず変化させながらひっきりなしに相争っていた。

「ギリシア」とは文化的かつ言語的な概念であり、国家ではなかったのだ -

ウィリアム・バーンスタイン 『交易の世界史』

Lectio

行交う人々が鹿のように鳥のようにまたニンフのように

- デパートメントストアは一つの公園であり民衆の散歩場である。

そうして同時に博物館であり、百科辞典であり、また一種のユニヴァーシティであるのである。

そうしてそれがそうであることによって、それは現代世相の索引でありまた縮図ともなっているのである -

寺田寅彦 / デパートの夏の午後

Lectio

きびしい変化の中で育つことが果物をうまくするのと同じように

- だいたい果物は盆地ものがうまいといわれる。朝夕と昼の温度差が大きいほど、果物は糖分を増すものらしい。

温度差が大きいのは、気候としては厳しいのだが、それによって、果物の甘さがつよくなるというのはおもしろい。

甘さをいのちとする果物の産地に内陸、盆地が多いのは偶然ではない。山形は山も多いが盆地も多い。天下に名だたる果物産地である。

きびしい変化の中で育つことが果物をうまくするのと同じように、人間も苦労すればするほど味が出る。昔風の人間はそんなことを考えるのである。-

外山滋比古 『果物』