Lectio

開け放たれた窓を外部 (そと) から見る者は、閉ざされた窓を透して見る者と、決して同じほど多くのものを見ない。

- 蠟燭 (ろうそく) の光に照らされた窓にもまして奥床しく、神秘に、豊かに、陰鬱に、蠱わし多いものはまたとあるまい。

白日の下に人の見得るものは、常に硝子戸のあなたに起るものよりも興味に乏しい。

この暗い、または輝いた孔虚 (うつろ) の中には、人生が生き、人生が夢み、人生が悩んでいる -

ボードレール 『窓』

Lectio

きみはベンチにすわって、道すがらに買ってきた古本をめくる。

- 鳩たちが舞いおりてきて、艶のある羽根をたたむ。

クックーと啼いて、ポップコーンを突つき散らす。

近くのような遠くで、誰かがトロンボーンを吹いている。

日曜日の公園の午後には、永遠なんてものよりもずっと永くおもえる一瞬がある。-

長田 弘 『公園』

Lectio

いつのまにか ねむくなるまで

レオ=レオニ 『あそぼうよ』訳 谷川俊太郎

学生時代それほどハナシ好きだったかというとそうでもなかったと思うけれど、

僕たちの世代の青春は携帯電話の普及期にあって、

眠気をガマンしながら携帯電話や実家の電話の受話器を握りしめて何だか良くわからないことを語り合ったあの時間は

やっぱり僕にとっても大切な時間だったんだなと、今になって思う。

Lectio

「蒲生殿は、戦さ上手である」

と、秀吉はほめた。

「たとえばである。ここに故右大臣様 (信長) と蒲生殿が合戦するとする。その人数は右大臣様が五千、蒲生殿が一万、おのおのはいずれへ味方せられる」

「どうだ」

といったが、家康でさえくびをひねった。まして宇喜多秀家、毛利輝元程度の凡庸の男には解けそうにない。秀吉はみずから解答を出し、

「わしは故右大臣様に味方する」

といった。信長方は多勢に無勢で敗戦するであろう。「しかし」と秀吉はいう。

「なぜなら、蒲生方から兜首五つ討ち取ったとすると、かならずそのなかに氏郷殿の首が入っている」

「ところが織田方は五千のうち四千九百人まで討ち取られたとしても、故右大臣様はなお生き残った百人の中に入っているだろう。故右大臣様は生きてあるかぎり、かならず再起をはかる。ついには勝つ」

司馬遼太郎 『新史 太閤記』

Lectio

どれだけの水を注ぎ入れても

- 安らかで静かな心は、自分の人生のすべての部分を訪ね歩くことができる。

これに対して、多忙な人間の心は、まるでくびきをかけられたかのように、振り返って背後を見ることができない。

そうして、彼らの人生は、深い闇の中に消えていくのである。-

セネカ 『人生の短さについて』