
雑誌で見かけたHOHNERのハーモニカがどうしても欲しくなって、こども達にお揃いでプレゼントしてしまった。
生まれて初めて吹く子供たちの、途切れ途切れの美しい音色が僕を懐かしいあの頃に連れていってくれる。
雑誌で見かけたHOHNERのハーモニカがどうしても欲しくなって、こども達にお揃いでプレゼントしてしまった。
生まれて初めて吹く子供たちの、途切れ途切れの美しい音色が僕を懐かしいあの頃に連れていってくれる。
過去のイベントらしいけど、ナイトミュージアムとコンサートというのは最高の組み合わせなので、コレに参加できた人が羨ましい。
音楽というのはその民族が何世代にもわたって積み上げてきた文化みたいなものを濃厚に反映している。
たとえば衣装なんかもそうだろうと思うけど、音楽の場合、こうしてインターネットにさえ繋がることができれば気軽に楽しめる。
昔、アメリカの古い音楽ホールでJAZZのライブがあって、演奏が終わったあとにプレイヤーから客席へ「何かリクエストがあれば」と声が掛かった。
僕の少し後方にいた老人から「できれば我がアイルランドの曲を」と申し出があって、バンドメンバーはにっこりと笑って彼の要望に応えた。
そのときの老人の顔は、今でも覚えている。
-花を愛(め)で木陰に休らひ
鳥獣(とりけだもの)を友としてうたふ-
“能”の舞台を初めてみたのは何歳の頃だったかな。
視覚への衝撃という意味では「観た」という表現がやはり適しているのだと思うけれど、濃厚に記憶として残っているのはむしろ「音」や「声」のような気もする。
-とにかく笑えれば
それでも笑えれば
今日一日の終わりに
ハハハと笑えれば -
ウルフルズ 『笑えれば』
付き合いの長い仲間とカラオケに行くと
そのなかの1人がいつもこの曲を入れる。
彼がこの歌を本当は僕のために唄ってくれていることを僕は知っていて、
僕はいつも澄ました顔で聴いてるんだけど、
その度に胸の奥の方がコツコツと鳴っている。
PRINCESS PRINCESS / パパ
初めて聞いたのはカラオケルームだった。
職場の先輩が妹の結婚式で歌ったというその曲を聴いて、(その当時僕はまだ独身で、将来自分が父親になることなんて想像もできなかったけれど) 何かいい曲かもと思ってアンコールをねだったのを覚えている。
僕にとって 「パパ」といえばその先輩の歌声バージョンがデフォルト設定になっていて、長らく原曲は知らないでいた。
ひとりで車を運転していて、ラジオから奥居 香 (今は岸谷 香なんですね) の声が聴こえてきて、”世代” でもないのにちょっとジンときてしまった。
ジュディマリを聴くと、修学旅行で行った京都を思い出す。
クラスの少し進んだヤツがノートパソコンを持ち込んでくれたおかげで、僕たちの修学旅行は途方もなく彩り豊かなものになった。
まだ便利なサイトなんかない時代で、そいつのミュージックライブラリから好きな曲を選曲しては、あーだこーだ言い合うだけではあったけれど。
夜にはお決まりの恋話 (こいばな) になって、誰が誰を好きだとか、お前いま行って告白して来いだとか、今思えば最高にくだらない、それでいて当時最大の関心事で盛り上がる。
だから僕がこの古い都の、町としての本当の魅力を知ったのは、もっとずっと後のことだ。
日曜の昼にカフェみたいなところで食事をしていると、隣のカップルがイヤフォンを2人で分け合って楽しそうにしていて、ちょっといい気分になった。
学生時代はカセットやらMDやらに各々のお気に入りの曲を選曲して持ち歩いては仲間内でシェアしてたっけなと昔の記憶が蘇ってきた。
お前のはいつもZARDが入ってんだよな、と長い付き合いの友人に言われて、そう言われてみればそうだなと笑ったのを覚えている。
部活でどこだか遠くへ遠征した帰り、僕はウォークマンでZARDを聴いていた。電車のガタゴトという揺れと温かさで眠りに落ちそうになりながら。
ガラガラの車内では、疲れを知らない仲間たちがまだワイワイやっている。
ヴォーカルの甘くて切ない歌声がイヤフォンを通じて胸に響く。
“永遠に取り戻せないあの季節”?
そうだよな、こういうのもいつか終わるんだよなと、その時思った。
日曜の昼からホリデーコンサートがあると聞いたので、自由学園 明日館の講堂まで散歩。
予定より少し早く着いてしまったが、演奏が始まるまで、目を閉じて心を落ち着かせることにする。
ステージの近くへ座ると、グランドピアノに講堂の特徴的な窓の光が映り込んでくる。
あぁ、やっぱり自分好みの建物なんだよなとあらためて思う。
谷中霊園を散歩。鶯谷の洋食屋でカニクリームコロッケを食べ、午後から旧東京音楽学校 (奏楽堂) の日曜コンサートへ。
古楽器のなかでもチェンバロに特に惹かれている。
この頃は、目を閉じてじっくり聴き入るのもいいなと思い始めている。