IdeaLiving

サードプレイス

自分の学生時代、家と学校以外のどこかに自分の居場所はあったかな。

近所の空き地、友人宅、サッカーグラウンド、地元の図書館、近所のおじさんの家。一時期のゲームセンターもそうかもしれない。

当時はそんなこと考えもしなかったけれど、ある程度の安全が確保された居場所のようなものはあったような気はする。

今の世の中、気軽に入れるカフェのような場所が増えたことは良いことなのだけど、何かが足りないような。

公共の場に、もう少し居心地の良い ” 隙間 ” のようなものがあればいいのに、とも思う。

それにしてもマスカットのジュースっておいしい。

Idea

何かを選ぶことについて。

割と少量で酔える自分にとって日本酒の『飲み比べセット』はありがたい。

よく行く珈琲豆のお店にも飲み比べセットがあるを最近知って、とても良いアイデアだなと感心する。

自分の子どもたちには何かを選ぶときに素早く決断することを求めたりするのだけど

サブスクリプションが主流になってきた今の世の中で「決断」を迫られる機会というのは殆ど無くなってきたなというのを感じている。

何かを選ぶという行為は「自分はこういうものが好きだ」という背骨みたいなものがあったうえでその時の状況を加味した判断を下すということなのではないかと思う。

興味のあるもの気になるものはとりあえず全て (ちょっとずつ) 試してみる、という行為の集積は僕たちをどこへ向かわせるのか、そのことにも少し関心がある。

GastronomieStyle

午睡の効用

子どもの頃はなぜだかいつも眠くて、お昼ごはんの後はもちろん、プールの後、おやつの後、旅行中の車や電車、果ては友だちの家でまで長いこと眠りこけてしまうことがあったなと思い出す。

withコロナの時代になって家時間が増え、身体も昔を思い出すのか、昼の12時をまわると巨大な睡魔に襲われるようになった。

そんな時は無理に抗うことはせずに5分でも10分でも目を瞑って横になることにしていて、そうするとやがて温かなプールに浮かんでいるような心持ちになる。

若い頃はこんな時間は無駄だと昼寝はやめ、夜の睡眠時間もなるべく保とうとしていたけれど、十分な睡眠は自分の内面のザラザラしたものを綺麗に取り去ってくれるような感じがする。

満ち足りた気分で世界を眺めると、身の回りのアレコレはそれほど悪くないなと思えてくる。

昼寝の前にカフェインを摂るといいんだよ、と何かで聞いたことがあるが個人的にはその順番は逆が良い。

この短い眠りのあとに、自分で淹れた珈琲をたっぷりと楽しむ時間だってあるのだと想像してみる (実際にはそれ程のんびりもできないとしても) 。

それだけでワクワクとした気分で次の世界を歩んでいける。

LivingStyle

帽子のある生活

いつの頃からか、自分は帽子が似合わない人間なんだと思いながら生活するようになったので

防災的な意味合いのものを除いて、自発的に帽子というものをかぶってみたことがない。

僕以外の家族は割に帽子が似合うタイプで、

日差しが強い暑い日や耳が凍りつくような寒い日には、その日にかぶる帽子を楽しそうに選んでいる。

暖かそうな色付きの帽子をかぶせてもらったお地蔵さんを見かける度になんとなく羨ましいような気になってしまったりして。

GastronomieIdeaLiving

9 ( NINE )

「最近の日本酒は本当に美味しくなった」と言われる。

実際に酒屋さんを訪れてもキリッとした辛口のお酒ばかりではなくて、華やかな味のものや旨み、甘みを感じられるものも置かれているし、

ボトルデザインもお洒落なものが増えてきて、女性にも日本酒ファンが増えたことは生産者にとっても嬉しいことだろう。

だからといって、父や祖父がその昔ワイワイやりながら呑んでいたお酒がおいしくなかったかと言えば、そうではないんだろうな。

その時代その時代の人々の暮らしに合ったお酒を生産者が作ってきたし、これからもそうなんだろうな。

IdeaLectio

今から六百万年前、私たちの祖先は木から下りてきた。

- 以来、人類は大半の時間を、あちこち動き回ったり、狩りと採集を行ったり、遊牧民として生活したりしてきた。

村を作って定住するという考えは新たな発明だった。

それを思いついたのは一万三千年前のことであり、それ以降、私たちは放浪生活をやめ、穀物を栽培するようになった。

だから今の私たちが時々、移動不足を幻肢痛のように感じて、遊牧生活に憧れるのも不思議ではない。

遊牧生活の記憶は旅行癖にだけ見られるわけでもない。

私たちは動物の背に乗って移動すると、心が落ち着き安心するのだ-

ペール・アンデション / 「ここではない、どこか」という憧れ

遥かな昔の自分の祖先が遊牧的な民であったかどうかは別として、人類としての共通の記憶みたいなものがあるとすれば

たしかに我々は、気の遠くなるような長い時間をかけて、この広大な世界を他の動物たちと共に彷徨い歩いてきたんだなとあらためて思う。

いつかどこかで野生のウマやゾウに出会うことがあれば、そんなことをまた思い出すかもしれない。

IdeaLiving

オジサン

オジサンと呼ばれる年齢になってはじめてわかったのは

この世界は無数のおじさん (その他、老若男女諸々含む) 達のおかげでなんとか成り立っているのだ、ということ。

将来、自分の子どもから「パパは何の仕事してるの」と聞かれたとして、

「お父さんは電車の運転手だよ。お前たちをあっちの街からこっちの街へ運ぶんだ」

なんて胸を張って言えるような仕事をしてる人達のことを、ちょっぴり羨ましく思った。

僕は一体、社会の何の役に立っているだろうか。

GastronomieSafari

その街の顔

煮詰まってくると何やら無性に街歩きがしたくなってくる。

でもなぜ街を歩くのかと考えると、自分でも良くわからない。

別に川とか山に行けばいいような気がするし、なんなら近所をランニングするだけだって良いような気もする。

なんてことを考えながらブラブラしていると豆大福、という文字がゆらゆら揺れているのが目に入る (もちろん立ち寄って、買って帰る) 。

道の反対側には旨そうなハムやチーズを置いたデリカテッセンが見える (もちろん買って帰る) 。

お店には、ちゃんと人の気配がある。

別に行きつけの店でも知り合いがやってる店でもない。

だけどそこには最低限の人と人との触れ合いがあって、僕はそういうのものを外の世界に求めているのかもしれない。

IdeaLiving

ゴロリ

ウィズコロナの世界では瞑想が人気らしい。

僕も時々それっぽいことをやってみるけれど、体質的に合わないのか、リラックスはできても何となく次への活力みたいなものが湧いてこない。

それよりは、考えごとをしながらでも良いからゆっくり散歩して、歩くのに疲れたら芝生やベンチに少しの間ゴロンとして、空を見上げたりする方が自分にはしっくりくる。

帰り道は、気持ち早足で帰ったりして。