Lectio

私の感情はいつも間に合わない。

- 父の死という事件と、悲しみという感情とが、別々の、孤立した、お互いに結びつかず犯し合わぬもののように思われる。

一寸した時間のずれ、一寸した遅れが、いつも私の感情と事件とをばらばらな、おそらくそれが本質的なばらばらな状態に引き戻してしまう。

私の悲しみといものがあったら、それはおそらく、何の事件にも動機にもかかわりなく、突発的に、理由もなく私を襲うであろう。-

三島由紀夫 『金閣寺』

Lectio

だから私には、一九四五年から四七、八年にかけて、いつも夏がつづいていたような錯覚がある。

-私はあのころ、実生活の上では何一つできなかったけれども、

心の内には悪徳への共感と期待がうずまき、何もしないでいながら、

あの時代とまさに「一緒に寝て」いた。

どんな反時代的なポーズをとっていたにしろ、とにかく一緒に寝ていたのだ-

三島由紀夫 / 小説家の休暇 『昭和30年6月24日(金)』

Lectio

こうして好みの変って来つつある私だが、やっぱり小説の細部の魅力への信仰は捨てかねる。

-バルザックが、小説は荘厳な虚偽であるから細部の真実に支えられなければならぬ、と云ったのは、私の言う意味とは少しちがっていて、

私のは、登場人物が、急に駆け出すときにどんな駆け方をしたか、とか、泣きそうになって涙を抑えたときにどんな表情になったか、とか、

彼女の微笑に際してどのへんまで歯が露われたか、とか、ふりむいたときに衣服の背の皺 (しわ) がどんな風になったか、とか、

そういう些末な描写に対する不断の関心と飽かぬ興味が、読者としての私の中にも牢固として根を張っているからである-

三島由紀夫 / 日記 『昭和33年4月19日(土)』