Lectio

「もうこの仕事はやらないんだね」「ええ、今年の夏はね」

- 僕はライトバンから電動芝刈機と芝刈ばさみと ” くまで ” とごみ袋とアイスコーヒーを入れた魔法瓶とトランジスタ・ラジオを出して庭に運んだ。

太陽はどんどん中空に近づき、気温はどんどん上っていた。

僕が道具を運んでいるあいだ、彼女は玄関に靴を十足ばかり並べてぼろきれでほこりを払っていた。靴は全部女もので、小さなサイズと特大のサイズの二種類だった。

「仕事をしているあいだ音楽をかけてかまいませんか」と僕は訊ねてみた。

彼女はかがんだまま僕を見上げた。「いいともさ。あたしも音楽は好きだよ」 -

村上春樹 『午後の最後の芝生』

若い頃に芝刈りのアルバイトをした経験なんてないのだけれど、時折この小品を読み返しながら、学生時代に感じていたある種の心の震えみたいなものを味わっている。

「記憶というのは小説に似ている、あるいは小説というのは記憶に似ている。」

たしかにそうだ。

Lectio

ヨーロッパにおける難局は、ひとつには労働者が、自分のつくった製品を買うべきことを期待されていない点にある。

-そしてもし日用品をつくっているなら、自社の労働者は彼の最良の顧客の一部である。

我が社は社内に、つまり、私たちが直接賃金わ支払っている人々のうちに、約二〇万人の第一級の顧客を有している。

さらに、我が社の資材購入先で働いている人々のうちに、日々さらに多くの顧客を有している。

ヘンリー・フォード 『藁のハンドル』

Lectio

だから私には、一九四五年から四七、八年にかけて、いつも夏がつづいていたような錯覚がある。

-私はあのころ、実生活の上では何一つできなかったけれども、

心の内には悪徳への共感と期待がうずまき、何もしないでいながら、

あの時代とまさに「一緒に寝て」いた。

どんな反時代的なポーズをとっていたにしろ、とにかく一緒に寝ていたのだ-

三島由紀夫 / 小説家の休暇 『昭和30年6月24日(金)』

Lectio

こうして好みの変って来つつある私だが、やっぱり小説の細部の魅力への信仰は捨てかねる。

-バルザックが、小説は荘厳な虚偽であるから細部の真実に支えられなければならぬ、と云ったのは、私の言う意味とは少しちがっていて、

私のは、登場人物が、急に駆け出すときにどんな駆け方をしたか、とか、泣きそうになって涙を抑えたときにどんな表情になったか、とか、

彼女の微笑に際してどのへんまで歯が露われたか、とか、ふりむいたときに衣服の背の皺 (しわ) がどんな風になったか、とか、

そういう些末な描写に対する不断の関心と飽かぬ興味が、読者としての私の中にも牢固として根を張っているからである-

三島由紀夫 / 日記 『昭和33年4月19日(土)』

Lectio

とりわけ自動車は、動力というものを一般の人々になじませた。

-動力がどういうものであるかを人々に肌で実感させ、教え広め、

それまで人々が閉じこもっていた殻を破って、外へ連れ出す役目を果たし、外の世界の面白さ、素晴らしさを味わわせたのである。

自動車が生まれる以前には、自分の家から五〇マイル以上離れることもなく、その一生を終わる人が多かった。

こうしたことは、わが国ではもはや昔話となっているが、世界の多くの地域では、今なお現実の話である-

ヘンリー・フォード 『藁のハンドル』

Lectio

考古学、技術史、美術史などは、今日まで残った文書記録類ではときにわからない古代の諸関係に、重要な暗示を与えてくれる。

-いついかなる時代にあっても、世界の諸文化間の均衡は、

人間が他にぬきんでて魅力的で協力な文明を作りあげるのに成功したとき、

その文明の中心から発する力によって攪乱 (かくらん) される傾向がある-

ウィリアム・H・マクニール 『世界史』

たとえば二百年くらい後になって、歴史学者が2020年頃の世界を研究したとしたら

マクニールが言うところの「世界に対する攪乱の焦点」、あるいは 「文化活動の第一次的中心」というのは、どこになるのだろうか。

やはり米国ということになるのだろうか、それとも…

Lectio

詩人がいちばんよく歴史を生きる。

-世間にたいして、自分を修正しない。

自信があったり、主張があったりするのでそれができないのではなくて、そんなことがまったく自然にできないのだな。

考えてもみないのだよ。

現代のリアリストは、これを誤解するのだな。

社会観察とか、あるいは人間批評、社会批判なぞは詩人にはできない、と誤解するのだな-

小林秀雄 江藤淳 全対話 『孤独を競う才能』

GastronomieLectio

これをしないと正月がくるような気がしません

-生家の習慣から、暮の二十八日に必ず餅 (もち) をついてもらいます。

八は末広に連なり、九は苦に連なるとかいって、語呂まで気にかけたらしいのです。

それまでに、お供え用、輪飾り用の御幣を裁って、歳の市で裏白、葉つきの橙をもとめ、

昆布、根引きの松、藪柑子、ゆずり葉は庭のものを使い、伊勢えびの代りに紅白の水引を使って飾りつけをする-

辰巳 浜子 / 料理歳時記 『餅』

縁起を知ってのことではないが、二十八日には餅を受け取りに行くことになっている。

馴染みの和菓子屋さんに、年越し用の「のし餅」をお願いしてあるのだ。

まだクリスマスにもなっていないのに、今からお正月のお雑煮のことや、磯部焼き、いやその前に汁粉もいいな、なんて今から勝手に想像を膨らませている。

でも正月の分まで足りるのかしら

僕は搗きたてのお餅がなにしろ大好きなのだ

GastronomieLectio

待ちねえ。そりゃあまだ煮えていねえ

-鍋はぐつぐつ煮える。

牛肉の紅 (くれない) は男のすばしこい箸で反(かえ)される。白くなった方が上になる。

酒を飲んでは肉を反す。肉を反しては酒を飲む-

森鷗外 『牛鍋』

うーん、父の割下はどんな味だったっけなと思い出してみる。

鍋の季節。

Lectio

エチケットはどこへ

-へんに気取るのはやめて、プレゼントおくりものの類はつとめて必需品をえらぶ、これが日本版 (お気に入らねば貧乏版としてもよろしい) エチケットというものである。

エチケットも、世につれ暮しにつれて変るものと心得たい-

花森 安治 / 暮しの眼鏡

大橋鎭子さんと共に『暮しの手帖』を創刊し、初代編集長を務めた花森さん。

彼の残した言葉の数々も勿論いいんですが、イラストもまたいいんですよね。

このカバー画も花森さんによるものだそう。

そういえば最近『エチケット』って聞かなくなったな。