Lectio

人間という痛ましくもあり、しばしば滑稽で、まれに荘厳でもある自分自身を見つけるには、書斎での思案だけではどうにもならない。

- 人間は、古代から「暮らし」のなかにいる。

森青蛙が樹上に白い泡状の卵塊をつくるように、シベリアのエヴェンキというアルタイ語族の一派が、河畔で白樺の樹の家をつくり、鮭をとり、鮭を食べ、鮭の皮の靴をはくように、

私どもはあたえられた自然条件のなかで暮らしの文化をつくり、踏襲し、ときに歴史的条件によって変化させてきた。

人間という痛ましくもあり、しばしば滑稽で、まれに荘厳でもある自分自身を見つけるには、書斎での思案だけではどうにもならない。

地域によって時代によってさまざまな変容を遂げている自分自身に出逢うには、そこにかつて居た-あるいは現在もいる-山川草木のなかに分け入って、ともかくも立って見ねばならない。-

司馬遼太郎 / 私にとっての旅

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「蒲生殿は、戦さ上手である」

と、秀吉はほめた。

「たとえばである。ここに故右大臣様 (信長) と蒲生殿が合戦するとする。その人数は右大臣様が五千、蒲生殿が一万、おのおのはいずれへ味方せられる」

「どうだ」

といったが、家康でさえくびをひねった。まして宇喜多秀家、毛利輝元程度の凡庸の男には解けそうにない。秀吉はみずから解答を出し、

「わしは故右大臣様に味方する」

といった。信長方は多勢に無勢で敗戦するであろう。「しかし」と秀吉はいう。

「なぜなら、蒲生方から兜首五つ討ち取ったとすると、かならずそのなかに氏郷殿の首が入っている」

「ところが織田方は五千のうち四千九百人まで討ち取られたとしても、故右大臣様はなお生き残った百人の中に入っているだろう。故右大臣様は生きてあるかぎり、かならず再起をはかる。ついには勝つ」

司馬遼太郎 『新史 太閤記』

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新幹線で広島につくと、空はいよいよ青かった。駅前に出て、タクシーをひろった。

- 安芸・備後はひろい。

私は三泊四日の予定をたて、小さな町を二カ所だけ選ぼうと思い、地図でさがしてみた -

司馬遼太郎 / 街道をゆく 備後の道

地図を見てその世界を想像する。タクシーの運転手さんとその土地の歴史や「今」について話をする。そして、自分の足で歩く。

いつか自分も、そういう旅の仕方をしてみたいなと思ったりして。

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愛国的な熱意からではなく、歴史を通じた冷静な認識によって

-対談をまとめた『日本人と日本文化』と題する一冊には司馬が前書きを寄せ、対談以前の彼と私の共通項は、唯一、先の大戦での軍務経験であり、二人は「戦友」だった、と書いた。

「戦友」とはまた突拍子もない表現である。そもそも、私たちは敵味方に別れていたのだし、お互いを見かけたことさえなかったではないか。

しかし、司馬は正しかった。

私たちはあの悲惨な戦争の体験を分かち合っており、その体験こそが司馬をも私をも変えたのだから-

ドナルド・キーン / 思い出の作家たち 『司馬遼太郎』

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コノアタリ、故山ニ似タリ。

-なるほど二百年近くも相成り、しかもこの国の厚恩を受けてかように暮らしております上はなんの不足があるはずもございませぬが、ひとの心というものは不思議のものにて候。

故郷のことはうちわすれられず、折りにふれては夢のなかなどにも出 (いで) 、昼間、窯場にいてもふとふるさと床しきように想い出されて、

いまも帰国のこと許し給うほどならば、厚恩を忘れたるにはあらず候えども、帰国致したき心地に候-

司馬遼太郎 『故郷忘じがたく候』

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ただし、はるかな古代、草原は人間だけは棲息しがたかった

-採集すべき木ノ実もないし、けものに近づこうにも、一望の平坦地であるために相手が遁げてしまう。

採集時代の人間はやはり森のある土地がその棲息の適地で、

農耕時代になると、人間たちは森から出て低地に棲み、河の氾濫が繰り返される湿潤の地やオアシスで穀物などを栽培した。

むろん、この段階においても草原は見捨てられた地だった。

「草原に住む」

という暮らしのシステムを考えついた偉大な民族は、スキタイであった-

司馬遼太郎 『天山の麓の緑のなかで』