Lectio

「夏」とは一つの気候であるが、しかしその気候は人間の存在の仕方である。ただ気温の高さと日光の強さとのみでは我々は「夏」を見いださない。

- シンガポアについた夕暮れ、町へドライブに出かけた旅行者は、草木の豊かに生い茂った郊外でにぎやかに鳴いている虫の音を聴いた時、

あるいは露店の氷屋や果物店が立ち並んでいる間に涼みの人たちが白い着物で行き来する夏の夜の町の風景をながめた時、

初めて強く「夏」を感じ、近い過去に日本に残して来た「冬」との対照を今さらに驚くのである -

和辻哲郎 『モンスーン』

Lectio

我々は ” 空気の爽やかさにおいて ” 我々自身を了解している。

- 爽やかなのは己れの心的状態ではなくして空気なのである。

だからこそ我々は、他人の心的状態に目を向けるというごとき手続きを経ることなく、直接に互いの間において「いいお天気で」「いい陽気になりました」などと挨拶する。

我々はともに朝の空気の中へ出て、ともに一定の存在の仕方を背負うのである。-

和辻哲郎 『人間存在の風土的規定』

Lectio

だから人と世界とのかかわりは対抗的ではなくして受容的である。

-湿気は最も堪え難く、また防ぎ難いものである。

にもかかわらず、湿気は人間の内に「自然への対抗」を呼びさまさない。

その理由の一つは、陸に住む人間にとって、湿潤が “自然の恵み” を意味するからである。

洋上において堪え難いモンスーンは、実は太陽が海の水を運ぶ車にほかならぬ。

この水のゆえに夏の太陽の真下にある暑い国土は、旺盛なる植物によって覆われる-

和辻哲郎 『モンスーン』

Lectio

この建築は、単に柱のエンタシスのみならず、その全体の構造や気分において、西方の影響を語っている

-シナ人がこういう柱のふくらみを案出し得なかったかどうかは断言のできることでないが、

しかしこれが漢式の感じを現しているのでないことは確かなように思う。

仏教と共にギリシア建築の様式が伝来したとすれば、それが最も容易な柱にのみ応用せられたというのも理解しやすいことで、

これをギリシア美術東漸の一証と見なす人の考えには十分同感ができる。

もしシナに漢代から唐代へかけてのさまざまの建築が残っていたならば、仏教渡来によって西方の様式がいかなる影響を与えたかを明白にたどることができたであろう。

しかるにその証拠となる建築は、ただ日本に残存するのみなのである-

和辻哲郎 / 古寺巡礼 『エンタシス ギリシアの影響』

Lectio

湯を享楽するのは東洋の風

-それもあくどいデカダン趣味としてではなく、日常必須の、米の飯と同じ意味の、天真な享楽としてである。

温泉の滑らかな湯に肌を浸している女の美しさなどは、日本人でなければ好くわからないかも知れない。

湯のしみ込んだ檜 (ひのき) の肌の美しさなどもそうであろう-

和辻哲郎 『東西風呂のこと』