
-文芸は技術でもない、事務でもない。
より多く人生の根本義に触れた社会の原動力である-
夏目漱石 / 三四郎
人間社会とは何か、ということをこの頃よく考える。
我々の築き上げてきた文化とは何だろう。文芸とは何だろうということも考える。
-文芸は技術でもない、事務でもない。
より多く人生の根本義に触れた社会の原動力である-
夏目漱石 / 三四郎
人間社会とは何か、ということをこの頃よく考える。
我々の築き上げてきた文化とは何だろう。文芸とは何だろうということも考える。
- あなたにも覚えがあるでしょう、生れた所は空気の色が違います、
土地の匂いも格別です、父や母の記憶も濃 (こまや) かに漂っています。
一年のうちで、七、八の二月 (ふたつき) をその中に包まれて、穴に入った蛇のように凝としているのは、
私に取って何よりも温かい好い心持だったのです -
夏目漱石 『こころ』
- 進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まることを許してくれた事がない。
徒歩から車、車から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船、それから飛行機と、どこまで行っても休ませてくれない。
” どこまで伴 (つ) れて行かれるか ” 分らない。実に恐ろしい -
夏目漱石 『行人』
「近ごろの学問は非常な勢いで動いているので、少しゆだんすると、すぐ取り残されてしまう。
人が見ると穴倉の中で冗談をしているようだが、これでもやっている当人の頭の中は劇烈に働いているんですよ。
電車よりよっぽど激しく働いているかもしれない。
だから夏でも旅行をするのが惜しくってね」
夏目漱石 『三四郎』
- 根本的の主意は自分の衣食の料を得るためである。
しかし当人はどうあろうともその結果は社会に必要なものを供するという点において、
間接に国家の利益になっているかも知れない -
夏目漱石 『私の個人主義』
- 何かに打ち当たるまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。
ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!
こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずることが出来るのでしょう -
夏目漱石 『私の個人主義』
- それが高い帆柱の真上まで来てしばらく挂かっているかと思うと、いつの間にか大きな船を追い越して、先へ行ってしまう。
そうして、しまいには焼火箸のようにじゅっといってまた波の底に沈んで行く。そのたんびに蒼い波が遠くの向うで、蘇枋 (すおう) の色に沸き返る。
すると船は凄じい音をたててその跡を追っかけて行く。けれども決して追っつかない。
ある時自分は、船の男を捕 (つら) まえて聞いてみた。
「この船は西へ行くんですか」
船の男は怪訝な顔をして、しばらく自分を見ていたが、やがて、
「なぜ」と問い返した。
「落ちて行く日を追っかけるようだから」
船の男は呵々(からから)と笑った。そうして向うのほうへ行ってしまった-
夏目漱石 / 夢十夜 『第七夜』
「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。
しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。
私は死ぬ前にたった一人で好いから、他 (ひと) を信用して死にたいと思っている。
あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」
夏目漱石 『こころ』
-菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹 (ようかん) が並んでいる。
余は凡ての菓子のうちで尤も羊羹が好だ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、
どう見ても一個の美術品だ。
ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蠟石の雑種の様で、甚だ見て心持ちがいい。
のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れた様につやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる-
夏目漱石 『草枕』
以前、仕事の関係で美術品蒐集家の方を訪ねたときのことを思い出した。
その方は「手で触れてみなければわからないこともある」という考えをお持ちで、実際にコレクションの一部に触れさせてもらう機会を頂いた。
それ以来、美術館でツルリとした磁器などを眺めては「あぁ一度でいいから触れてみたい」なんて思ってしまう。
-「ええ毎日のように鳴きます。此処 (ここら) は夏も鳴きます」
「聞きたいな。ちっとも聞えないと猶 (なお) 聞きたい」
「生憎今日は-先刻の雨で何処へ逃げました」
折りから、竈 (へっつい) のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火が颯 (さつ) と風を起して一尺あまり吹き出す-
夏目漱石 『草枕』
絵画を眺めてるみたいだなといつも思う。いや、音もたしかに聞こえてくる。
漱石の文章を読んでいると、なるほど漢字というのはこのように置くものかといつも感心してしまう。