Lectio

「夏」とは一つの気候であるが、しかしその気候は人間の存在の仕方である。ただ気温の高さと日光の強さとのみでは我々は「夏」を見いださない。

- シンガポアについた夕暮れ、町へドライブに出かけた旅行者は、草木の豊かに生い茂った郊外でにぎやかに鳴いている虫の音を聴いた時、

あるいは露店の氷屋や果物店が立ち並んでいる間に涼みの人たちが白い着物で行き来する夏の夜の町の風景をながめた時、

初めて強く「夏」を感じ、近い過去に日本に残して来た「冬」との対照を今さらに驚くのである -

和辻哲郎 『モンスーン』

Lectio

我々は ” 空気の爽やかさにおいて ” 我々自身を了解している。

- 爽やかなのは己れの心的状態ではなくして空気なのである。

だからこそ我々は、他人の心的状態に目を向けるというごとき手続きを経ることなく、直接に互いの間において「いいお天気で」「いい陽気になりました」などと挨拶する。

我々はともに朝の空気の中へ出て、ともに一定の存在の仕方を背負うのである。-

和辻哲郎 『人間存在の風土的規定』

Lectio

まったくそれにもかかわらず、われわれは「冗談好きな」また浅薄な国民として首尾よく世界中に流用している。

- 学生はスポーツをしてないときには考える。彼らは喜びをもって聡明に、重々しく率直に考える。考えることは天職である。

われわれフランス人ならば、市街電車の車掌もゆっくりした時間には、ちょっとした飲み屋 (ザーンク) で赤か白の葡萄酒の杯を手にして立飲みしながら冗談まじりに考える。

そして自らなる単純さで個人的な考えを言いあらわす。彼はいつも一言あるし、ちょっとした事件に関して自ら発する感想もある。

彼は考えるのが早い。フランス人は考えるのが非常に早いが、アメリカ人はきわめてのろい。われわれはものを決めるのが早いがアメリカ人はひじょうにゆっくりである。

これは「時は金なり (タイム・イズ・マネー) 」のアメリカで発見するまったく意外な観察である -

ル・コルビュジエ 『伝統の精神と現代生活の本能』

Lectio

“二つの歴史”がある。すなわち”政治”史と、”文学”および芸術の歴史である。第一の歴史は”意志”の歴史であり、第二の歴史は”知性”の歴史である。

- 人類は、めざましい進歩をとげると、その後まもなく、ほとんど決まったように迷路に陥る。

このような迷路はプトレマイオスのいわば周転円にあたり、人類はこの周転円のどれを走っても、走り終わった後は、もとの走り始めた地点にふたたび立っていることになる。

偉大なる天才たちは人類を惑星の軌道上で、つまり正規の軌道上で前進せしめる。

だが人類はこのようにそのたびごとに周転円に迷いこむ-

ショーペンハウアー 『読書について』

Lectio

花より雨に

枇杷 (びわ) の実は熟しきって地に落ちて腐った。

厠に行く縁先に南天の木がある。

その花はいかなる暗い雨の日にも雪のように白く咲いて、房のように下っている。

自分は幼少い時、この花の散りつくすまで雨は決して晴れないと語った乳母の詞 (ことば) を思い出した-

永井荷風 『花より雨に』

Lectio

空は日毎に青く澄んで

何処 (いずこ) を見ても若葉の緑は洪水のように漲り溢れて、

日の光に照されるその色の強さは、閉めた座敷の障子にまで反映するほどなので、

午後の縁先なぞに向かい合って話をする若い女の白い顔をば、色電気の中に舞う舞姫 (バレエ) のように染め出す。

どんより曇った日には緑の色は却って鮮やかに澄渡って、沈思につかれた人の神経には、軟い木の葉の緑の色からは一種云いがたい優しい音響が発するような心持をさせる事さえあった-

永井荷風 『花より雨に』