Lectio

それが ことによくすみわたつた日であるならば

-そして君のこころが あまりにもつよく

説きがたく 消しがたく かなしさにうづく日なら

君は この阪路 (さかみち) をいつまでものぼりつめて

あの丘よりも もつともつとたかく

皎皎 (こうこう) と のぼつてゆきたいとは おもわないか

八木重吉 『秋の瞳』

Lectio

がぶがぶ湧いてゐるですからな

-こんなにのんきで苦しくないのは

魂魄なかばからだをはなれたのですかな

たゞどうも血のために

それを云へないがひどいです

あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが

わたくしから見えるのは

やっぱりきれいな青ぞらと

すきとほった風ばかりです-

宮沢賢治 『眼にて云ふ』

最期の瞬間にそういう心持ちになれるかどうか、今の僕にはわからないけれど、そのような自分でいられたらいいなとは思う。

Lectio

恐らく一生自分はこの中で感謝したり、淋しがったりするだろう。そうして、一生、苦しんだり、喜んだりするだろう。

-自分は自分の行き道を本統 (ほんとう) に明らかに知って来た。

そうして、その行き道にある自分の現状と位置を本統に明らかに知って来た。

そうして、自分は、自分の性格や素質と自分の本能や欲望との調和を感じている。

自分は自分のこの行き道を行 (ゆく) より外、この調和の得られないのを感じている-

岸田劉生 『自分の行く道』

Lectio

蜜蜂はあっちこっちと花をあさって、その後でこれから蜜を作ります

-この蜜は全部彼らのものです。

もはや、たちじゃこう草でもマヨラナ草でもありません。

そのように、彼も他人からの借り物を、形を変え、混ぜ合わせてすっかり彼自身の作品を、すなわち、彼自身の判断を作り上げるべきです。

彼の教育も勉強も学習も、ただ、この判断を作るのが目的なのです-

モンテーニュ 『エセー』

Lectio

湯を享楽するのは東洋の風

-それもあくどいデカダン趣味としてではなく、日常必須の、米の飯と同じ意味の、天真な享楽としてである。

温泉の滑らかな湯に肌を浸している女の美しさなどは、日本人でなければ好くわからないかも知れない。

湯のしみ込んだ檜 (ひのき) の肌の美しさなどもそうであろう-

和辻哲郎 『東西風呂のこと』

Lectio

父の言葉はひどくこたえた

-久しぶりに帰省して親兄弟の中で一夜を過ごしたが、

今朝別れて汽車の中にいるとなんとなく哀愁に胸を閉ざされ、

窓外のしめやかな五月雨がしみじみと心にしみ込んで来た。

大慈大悲という言葉の妙味が思わず胸に浮かんでくる。

昨夜父は言った。お前の今やっていることは道のためにどれだけ役にたつのか、頽廃した世道人心を救うのにどれだけ貢献することができるのか。

この問いには返事ができなかった-

和辻哲郎 『哀愁のこころ-南禅寺の夜』

むかし、殆ど同じ意味の言葉を父から問いかけられたことがある。

そのときに救われたのは世道人心ではなく、僕自身のこころであったけれど。