
- あるものの姿が見えるかと思うとたちまち運び去られ、
他のものが通って行くかと思うとそれもまた持ち去られてしまう-
マルクス・アウレーリウス 『自省録』
- あるものの姿が見えるかと思うとたちまち運び去られ、
他のものが通って行くかと思うとそれもまた持ち去られてしまう-
マルクス・アウレーリウス 『自省録』
- 畑の土は黒く、麦や葱は青く、空はすみわたって、諸君を待っている -
岸田劉生 / 新年に際して画壇に
- 針を以て穿たれた穴は必ずしも深くないけれど、浅い感じは持たない。
そして、その鋭い道はスーッと深いところへとどく道を暗示している。-
岸田劉生 / デカダンスの考察
- ニューヨークは、新しい時代のしるしのもとにある、垂直の都市である。
それは一つの破局であるが、美しい堂々たる破局であり、あまりに性急な運命によって信念と勇気ある人々に下された破局である。
決して破綻したのではない、なぜならニューヨークは、苦境にありながら勇みたっている -
ル・コルビュジエ / ニューヨーク, 垂直の都市
- その強い、自分をまげない処 (ところ) が特に自分を感心させた。
無者がどこまでも自己を尊敬して立って行く態度に殊 (こと) に引かれそれを羨ましく思った。そして自分ももっと強くなりたいと思った。
柳を通じて武者 〔武者小路実篤〕ともじき知り合になった。始めは画を見に行ったものだが、それより話をするのが何ともいえぬ楽しみだった。
これまで、そういう友達を持つ機会のあまりなかった僕にとってこの事は本当に、第二の誕生といっていい位の力強い事だった -
岸田劉生 『思い出及今度の展覧会に際して』
- 親のない子の私をいたわってくれた「ふるさと」はなつかしいが、
しかし無頼浮浪の私は旅のところどころにも「ふるさと」を感じる。
たとえばデンマアク、パリにも、フランスにも、ロンドンにも、ロオマにも、
アメリカのニュウ・ヨオクの郊外にも、ブラジルにも、
ふるさとに近い親しみとなつかしさがある -
川端康成 『私のふるさと』
- シンガポアについた夕暮れ、町へドライブに出かけた旅行者は、草木の豊かに生い茂った郊外でにぎやかに鳴いている虫の音を聴いた時、
あるいは露店の氷屋や果物店が立ち並んでいる間に涼みの人たちが白い着物で行き来する夏の夜の町の風景をながめた時、
初めて強く「夏」を感じ、近い過去に日本に残して来た「冬」との対照を今さらに驚くのである -
和辻哲郎 『モンスーン』
- 爽やかなのは己れの心的状態ではなくして空気なのである。
だからこそ我々は、他人の心的状態に目を向けるというごとき手続きを経ることなく、直接に互いの間において「いいお天気で」「いい陽気になりました」などと挨拶する。
我々はともに朝の空気の中へ出て、ともに一定の存在の仕方を背負うのである。-
和辻哲郎 『人間存在の風土的規定』
- 雲となりまた雨となる
昼の愁ひはたえずとも
星の光をかぞへ見よ
楽みのかず夜は尽きじ -
島崎藤村 『君と遊ばむ』
- 名もなき道を説くなかれ
名もなき旅を行くなかれ
甲斐なきことをなげくより
来りて美 (うま) き酒に泣け -
島崎藤村 『酔歌』