Lectio

文字をもつ伝承者

-その晩、田中翁が家へかえったあと宿で、

翁の元気な間にいろいろ記憶しているところを書きとめておいてもらおうではないかと言うことになって、その翌朝別れるときに

「田中さん、あんたとても元気だから、一つ、今まで見た事きいた事、自分のやって来たあたらしい事を含めて、思いつくままに書いてみませんか。

もし応援がいるような時には私が手伝いに来ます。森脇さんや牛尾さんもおる。

どんなにくだらぬと思うようなことでも、あんたの心にふれたものは書きとめてみて下さい」とたのんだ。

すると翁は目をほそめて、「年よりちうもんは使い道のないもんだと思っとりましたが、案外役に立つこともあるんですな」と笑った-

宮本 常一 「忘れられた日本人」

文字に残っても、残らなくても、その人が生きたことの価値みたいなものは変わらないけれど

何かの形で後世に残れば、僕たちは、文字を通してその人々にいっとき、触れることができる。

フォークロアみたいなものだって「文字」というものがこの世に生まれなければその多くは失われてしまっていたんだろうな、なんて思ったりした。

Lectio

私はさげすまれ断られたこの商品、数多の買手の残りもの、を自分のはかない荷物のうえにのせよう。

-私よりさきに生をうけた人々があらゆる有益で必須な主題を自分のものとしてとってしまったから、

私は非常に有益な、または面白い題材を選ぶことができないのを知っている。

それで私は、ちょうど貧乏のため一番あとから市場に到着したが、他に品物をととのえることもできないので、

すでに他人の素見 (ひやかし) 済みだが余り値打がないために取上げられず断わられた品物すべてを買いとる男のようにふるまうであろう-

レオナルド・ダ・ヴィンチ / 手記 「序」

Lectio

日本画を以て写実の道を歩こうとする事は根本から間違っている。

-美術というものは元来人間の想像の華である。

その根本は装飾の意思本能にある。美術とは世界の装飾にあるともいえる。

美は外界にはない、人間の心の衷 (うち) にある。

それが外界の形象をかりて表れると自然の美となりその表現が写実となる。

それが外界の形をかりずにすなおにじかに内から”うねり”出て来たものが、装飾美術になる。

古代の器具や、野蛮人や農夫の器具に何ら自然物にたよらぬ線状で (波状輪状等) 美くしい装飾のあるのは即ちその一例で、その他建築の屋根の曲線や、瓶壺等の線などにそれは表れる。

美術はすなわちこの装飾が元である。

「美」に置くという事が装飾で、その美は人間の衷なる心の要求でありまた本能である-

岸田 劉生 『想像 (イマジネーション) と装飾の美』

美に置く。フムフム。

Lectio

あるいは病める薔薇 (そうび)

-ああ、こんな晩には、どこでもいい、しっとりとした草ぶきの田舎家 (いなかや) のなかで、

暗い赤いランプの陰で、

手も足も思う存分に延ばして、

前後も忘れる深い眠りにおちいってみたい-

佐藤 春夫 『田園の憂鬱』

Lectio

それらには美はなく「考え」ばかりがあります。

- 巨大なまがいもののルネッサンスやゴチックは如何です。少しも心から生れていません。「考え」からばかり生れています。

冷たくて、石は石のまま、否 (いな) 石は石よりも冷たく、かたくなに、牢屋の如くにつみ上げられています。

一体建築とか、都市の美とかいうものは「個性」が造るよりも、「民族」が造った時代の方が美くしいものが出来る。

質の芸術だという気がします-

岸田劉生 『アメリカ趣味とセセッション趣味を排す』

永い伝統によって蓄えられた民族の心の美が滲むところに美しい建築や都市は生まれる、と岸田劉生は言う。

練り上げられた独自の美意識。

かつてこの国にもあったもの。

残されたのは、こねまわされた、様式の屍 (しかばね) 。

ふむ。

Lectio

それが ことによくすみわたつた日であるならば

-そして君のこころが あまりにもつよく

説きがたく 消しがたく かなしさにうづく日なら

君は この阪路 (さかみち) をいつまでものぼりつめて

あの丘よりも もつともつとたかく

皎皎 (こうこう) と のぼつてゆきたいとは おもわないか

八木重吉 『秋の瞳』