Lectio

『白樺』を見る度に、無者 (むしゃ) という名でかいてある六号雑感に引かれた

- その強い、自分をまげない処 (ところ) が特に自分を感心させた。

無者がどこまでも自己を尊敬して立って行く態度に殊 (こと) に引かれそれを羨ましく思った。そして自分ももっと強くなりたいと思った。

柳を通じて武者 〔武者小路実篤〕ともじき知り合になった。始めは画を見に行ったものだが、それより話をするのが何ともいえぬ楽しみだった。

これまで、そういう友達を持つ機会のあまりなかった僕にとってこの事は本当に、第二の誕生といっていい位の力強い事だった -

岸田劉生 『思い出及今度の展覧会に際して』

Lectio

日本画を以て写実の道を歩こうとする事は根本から間違っている。

-美術というものは元来人間の想像の華である。

その根本は装飾の意思本能にある。美術とは世界の装飾にあるともいえる。

美は外界にはない、人間の心の衷 (うち) にある。

それが外界の形象をかりて表れると自然の美となりその表現が写実となる。

それが外界の形をかりずにすなおにじかに内から”うねり”出て来たものが、装飾美術になる。

古代の器具や、野蛮人や農夫の器具に何ら自然物にたよらぬ線状で (波状輪状等) 美くしい装飾のあるのは即ちその一例で、その他建築の屋根の曲線や、瓶壺等の線などにそれは表れる。

美術はすなわちこの装飾が元である。

「美」に置くという事が装飾で、その美は人間の衷なる心の要求でありまた本能である-

岸田 劉生 『想像 (イマジネーション) と装飾の美』

美に置く。フムフム。

Lectio

それらには美はなく「考え」ばかりがあります。

- 巨大なまがいもののルネッサンスやゴチックは如何です。少しも心から生れていません。「考え」からばかり生れています。

冷たくて、石は石のまま、否 (いな) 石は石よりも冷たく、かたくなに、牢屋の如くにつみ上げられています。

一体建築とか、都市の美とかいうものは「個性」が造るよりも、「民族」が造った時代の方が美くしいものが出来る。

質の芸術だという気がします-

岸田劉生 『アメリカ趣味とセセッション趣味を排す』

永い伝統によって蓄えられた民族の心の美が滲むところに美しい建築や都市は生まれる、と岸田劉生は言う。

練り上げられた独自の美意識。

かつてこの国にもあったもの。

残されたのは、こねまわされた、様式の屍 (しかばね) 。

ふむ。

Lectio

恐らく一生自分はこの中で感謝したり、淋しがったりするだろう。そうして、一生、苦しんだり、喜んだりするだろう。

-自分は自分の行き道を本統 (ほんとう) に明らかに知って来た。

そうして、その行き道にある自分の現状と位置を本統に明らかに知って来た。

そうして、自分は、自分の性格や素質と自分の本能や欲望との調和を感じている。

自分は自分のこの行き道を行 (ゆく) より外、この調和の得られないのを感じている-

岸田劉生 『自分の行く道』

LectioSpiel

人類は機械ではないから。

-ところで今、世界の大勢は近代になってますますこの合理的生存へ向っていると見られる。

正に今の時代は、今まで意識しなかったものを意識し、分別し、処理している時代であって、今後の人類の要求は正に芸術を離れて、思想へ向い、趣味を離れて、実際に向っている。

しかし、趣味というものが全然なくなってしまうとは考えられない、人類は機械ではないから-

岸田劉生 『新古細旬銀座通』

IdeaSafari

素描礼讃 (そびょうらいさん)

岸田劉生を目当てに八王子まで行ってきました。

とにかく訪れて良かったのは、岸田劉生= “麗子像” の人、みたいな先入観が取っ払えたこと、それと木村荘八の画風が割と自分の好みなんだなと発見できたこと。

もちろん八王子夢美術館だけがやってるわけじゃないけど、ポストカードとか画集などのお土産っぽいのだけでなく、作家のエッセイなんかも置いてあると嬉しいですね。