
小さい頃は桜と紅葉くらいにしか関心が持てなかったはずなのに。
小さい頃は桜と紅葉くらいにしか関心が持てなかったはずなのに。
子どもの目で見ると、冬が近付くこの季節も
まだまだ生きものたちで溢れているらしい。
目に見えるもの、見えないもの、耳で聴こえるもの、聴こえないもの。
そういうあれやこれやで世界はできている。
枯葉をザクザクと踏みながら散歩する。
出店を見つけて、栗と大納言が入ったパンを調達。
この季節に外で食べるパンは、なんだかやけに美味しい。
ゆるゆると散歩してドーナツ食べたりコーヒー飲んだりしてるだけでそれなりに幸せ。
ウィズコロナの世界では瞑想が人気らしい。
僕も時々それっぽいことをやってみるけれど、体質的に合わないのか、リラックスはできても何となく次への活力みたいなものが湧いてこない。
それよりは、考えごとをしながらでも良いからゆっくり散歩して、歩くのに疲れたら芝生やベンチに少しの間ゴロンとして、空を見上げたりする方が自分にはしっくりくる。
帰り道は、気持ち早足で帰ったりして。
心地いい風が吹く朝に
息子がオモチャの飛行機を飛ばすのを眺める。
貸してごらん、と声を掛ける。
遠くへ飛ばすことよりも
なんとなく気持ち良さそうに飛ばすことを心掛ける。
秋の楽しみのひとつは、食事と、散歩。
がっしりめの靴を履いて、サクサクサクと音を立てながら気持ち早足で長い距離を歩く。
秋の生きものを探しながら
里山を散歩。
森の方からは小鳥たちの澄み切った声が聞こえてくる。
少し厚手の服を着るようになり、
食卓には柿や栗が並ぶようになり、
季節は足早に過ぎてゆく。
まだまだ虫捕り熱の冷めない息子から「もう秋なの?」と問われ、
落ちてきた黄色や赤の葉っぱを拾い集めながら
「うん、もう秋だね」と僕は答える。
いい香りですね、とオトナ達が挨拶を交わす。
子ども達にとってはそんなことはどうでもよくて、
その下に何が隠れているかの答えを探している。