Lectio

しかし蝶は知っている。

小さく白い蝶のむれが、もみじの幹からすみれ花の近くに舞って来た。

もみじもやや赤く小さい若芽をひらこうとするところで、その蝶たちの舞の白はあざやかだった。

二株のすみれの葉と花も、もみじの幹の新しい青色のこけに、ほのかな影をうつしていた。

花ぐもりぎみの、やわらかい春の日であった-

川端 康成 『古都』

Lectio

きみはもう二度と海へ出てはいけない。

-試しにこの航海に出てみて、天がきみをどんな目に遭わせるかわかっただろう。

あくまでも続けたら何が待ちかまえているか。

ひょっとすると、これはすべてきみのせいで降りかかったのかもしれん。

ヨナがタルシンの船に乗ったのと同じで-

ダニエル・デフォー 『ロビンソン・クルーソー』

たとえどんなに周囲から (愛のある) 忠告をされても、どう考えても行く手には災厄ばかりが待ち構えていて、成功する確率なんてこれっぽっちも無さそうでも、「こうしたい」という欲望みたいなものには勝てない。

そのあたりが僕たち人間とAIのような人工知能との差かもしれない。

Lectio

愛国的な熱意からではなく、歴史を通じた冷静な認識によって

-対談をまとめた『日本人と日本文化』と題する一冊には司馬が前書きを寄せ、対談以前の彼と私の共通項は、唯一、先の大戦での軍務経験であり、二人は「戦友」だった、と書いた。

「戦友」とはまた突拍子もない表現である。そもそも、私たちは敵味方に別れていたのだし、お互いを見かけたことさえなかったではないか。

しかし、司馬は正しかった。

私たちはあの悲惨な戦争の体験を分かち合っており、その体験こそが司馬をも私をも変えたのだから-

ドナルド・キーン / 思い出の作家たち 『司馬遼太郎』

LectioLiving

料理はイモだけで ごちそうは会話

-私は若いころにヨーロッパ各地を歩きましたが、たった五〇〇人くらいの町でこんな美しい町があるのかと感心したことがありました。

日本で五〇〇人くらいの町であればただの田舎でしかないことが多いように思います。

つまり、そこには理想や文化がないからです-

水戸岡 鋭治 『電車をデザインする仕事』

あるいは、「我々にはあなた方に誇るようなものはないですから」と思いながら暮らしている人々が、我が国には多過ぎるのかもしれない。

以前、夜行列車を途中下車して北国の鄙びた温泉街に立ち寄った際、宿の主人が町と温泉の歴史について教えてくれたときのことを思い出した。

「他にはなにもありませんけどね」と、誇らしさと寂しさが入り混じったような表情で彼は言った。

この国の田舎らしい、とても美しいまちだった。

Lectio

「ねえ、おまえ。これは想像で描いた絵にすぎないんだよ」

-「お父さん、そんな壁がほんとうにあったのなら、それがすっかりなくなってしまうはずはないよ。

何百年もの塵 (ちり) や がらくたの下に埋もれているんだ」

父はそうではないと主張したものの、私もどうしても自説をまげず、

結局二人は、私がいつかはトロイアを発掘することになるんだということで合意に達した-

ハインリヒ・シュリーマン 『古代への情熱』

まさしく情熱は、何事をも起こし得る。

Lectio

半分のお月さまも黄色いお星さまも眠くなってきました

-白いお星さまも、青いお星さまも、夜になりました。

大人も、子供も、おばあちゃんも、おじいちゃんも、お父さんも、お母さんも、お兄さんも、お姉さんも、赤ちゃんも、

お人形も、いぬも、ねこも、うさぎも、りすも、たぬきも、きつねも、みんな、みんな眠っていました。

「くまちゃんも?ぞうさんも?ペンギンちゃんも?」と娘が訊くので、

「そうだよ、みんな、みんなだよ」と私は答える-

沢木耕太郎 『雪の手ざわり、死者の声』

僕は、彼が娘さんを寝かしつけるときにする変テコな”オハナシ”が好きで、何だか自分の子どもの頃を思い出して温かい気持ちになれるし、父としても参考になる。