Lectio

とりわけ、彼らは、音楽の深い理解者であった。

- 病的である、ということが、芸術家の重要な資質である、というふうに感じていたらしい。

「自意識過剰」というような言葉で人をおびやかす友人がいた。

またある友人は「死」ということを「つきつめて」考えている様子であった。

みんな暗い表情をしていた。わたくしは、自分自身、格別の悩みもないことを深く愧じた。

友はみな、優れた芸術家であると思われた -

伊丹十三 『古典音楽コンプレックス』

Lectio

むかしむかし

- アメリカの奥深くわけ入ったところに、ある町があった。生命あるものはみな、自然と一つだった。

町のまわりには、豊かな田畑が碁盤の目のようにひろがり、穀物畑の続くその先は丘がもりあがり、斜面には果樹がしげっていた。

春がくると、緑の野原のかなたに、白い花のかすみがたなびき、秋になれば、カシやカエデやカバが燃えるような紅葉のあなを織りなし、松の緑に映えて目に痛い。

丘の森からキツネの吠え声がきこえ、シカが野原のもやのなかを見えつかくれつ音もなく駆けぬけた。 -

レイチェル・カーソン / 沈黙の春 – 明日のための寓話

単に年齢的なものなのか、コロナ禍を経験した人類の一員としての危機意識がそうさせるのかはわからないけれど

我々がこれから失おうとしているものがどういうものなのか、ということについて時々考えるようになった。

とうの昔に失って、もはや取り戻すことができないものについても。

Lectio

私が不思議に思ったのは、この土地の人はこの綺麗な川に、なぜ鮎を放流しないのだろうということであった。

- 井荻村 (杉並区清水) へ引越して来た当時、川南の善福寺川は綺麗に澄んだ流れであった。

清冽な感じであった。知らない者は川の水を飲むかもしれなかった。

川堤は平らで田圃のなかに続く平凡な草堤だが、いつもの水量が川幅いっぱいで、

昆布のように長っぽそい水草が流れにそよぎ、金魚藻に似た藻草や、河骨 (こうほね) のような丸葉の水草なども生えていた -

井伏鱒二 『善福寺川』

Lectio

私はロウソクを消した。

- 開いた窓から夜が流れこんで来て、

柔らかく私を抱き、私を友だちにし、兄弟にする。

私たちは共に同じ郷愁に病んでいる。

私たちはほのかな思いに満ちた夢を送り出し、

ささやきながら、私たちの父の家で暮した

昔を語り合う。-

ヘルマン・ヘッセ 『夜』

Lectio

私の感情はいつも間に合わない。

- 父の死という事件と、悲しみという感情とが、別々の、孤立した、お互いに結びつかず犯し合わぬもののように思われる。

一寸した時間のずれ、一寸した遅れが、いつも私の感情と事件とをばらばらな、おそらくそれが本質的なばらばらな状態に引き戻してしまう。

私の悲しみといものがあったら、それはおそらく、何の事件にも動機にもかかわりなく、突発的に、理由もなく私を襲うであろう。-

三島由紀夫 『金閣寺』

Lectio

日が沈む。

- 一日の労苦に疲れた憐れな魂の裡に、大きな平和が作られる。

そして今それらの思想は、黄昏時の、さだかならぬ仄かな色に染めなおされる。-

ボードレール 『黄昏』