Lectio

私が不思議に思ったのは、この土地の人はこの綺麗な川に、なぜ鮎を放流しないのだろうということであった。

- 井荻村 (杉並区清水) へ引越して来た当時、川南の善福寺川は綺麗に澄んだ流れであった。

清冽な感じであった。知らない者は川の水を飲むかもしれなかった。

川堤は平らで田圃のなかに続く平凡な草堤だが、いつもの水量が川幅いっぱいで、

昆布のように長っぽそい水草が流れにそよぎ、金魚藻に似た藻草や、河骨 (こうほね) のような丸葉の水草なども生えていた -

井伏鱒二 『善福寺川』

Lectio

私はロウソクを消した。

- 開いた窓から夜が流れこんで来て、

柔らかく私を抱き、私を友だちにし、兄弟にする。

私たちは共に同じ郷愁に病んでいる。

私たちはほのかな思いに満ちた夢を送り出し、

ささやきながら、私たちの父の家で暮した

昔を語り合う。-

ヘルマン・ヘッセ 『夜』

Lectio

私の感情はいつも間に合わない。

- 父の死という事件と、悲しみという感情とが、別々の、孤立した、お互いに結びつかず犯し合わぬもののように思われる。

一寸した時間のずれ、一寸した遅れが、いつも私の感情と事件とをばらばらな、おそらくそれが本質的なばらばらな状態に引き戻してしまう。

私の悲しみといものがあったら、それはおそらく、何の事件にも動機にもかかわりなく、突発的に、理由もなく私を襲うであろう。-

三島由紀夫 『金閣寺』

Lectio

日が沈む。

- 一日の労苦に疲れた憐れな魂の裡に、大きな平和が作られる。

そして今それらの思想は、黄昏時の、さだかならぬ仄かな色に染めなおされる。-

ボードレール 『黄昏』

Lectio

開け放たれた窓を外部 (そと) から見る者は、閉ざされた窓を透して見る者と、決して同じほど多くのものを見ない。

- 蠟燭 (ろうそく) の光に照らされた窓にもまして奥床しく、神秘に、豊かに、陰鬱に、蠱わし多いものはまたとあるまい。

白日の下に人の見得るものは、常に硝子戸のあなたに起るものよりも興味に乏しい。

この暗い、または輝いた孔虚 (うつろ) の中には、人生が生き、人生が夢み、人生が悩んでいる -

ボードレール 『窓』

Lectio

「蒲生殿は、戦さ上手である」

と、秀吉はほめた。

「たとえばである。ここに故右大臣様 (信長) と蒲生殿が合戦するとする。その人数は右大臣様が五千、蒲生殿が一万、おのおのはいずれへ味方せられる」

「どうだ」

といったが、家康でさえくびをひねった。まして宇喜多秀家、毛利輝元程度の凡庸の男には解けそうにない。秀吉はみずから解答を出し、

「わしは故右大臣様に味方する」

といった。信長方は多勢に無勢で敗戦するであろう。「しかし」と秀吉はいう。

「なぜなら、蒲生方から兜首五つ討ち取ったとすると、かならずそのなかに氏郷殿の首が入っている」

「ところが織田方は五千のうち四千九百人まで討ち取られたとしても、故右大臣様はなお生き残った百人の中に入っているだろう。故右大臣様は生きてあるかぎり、かならず再起をはかる。ついには勝つ」

司馬遼太郎 『新史 太閤記』