
乗り鉄でも撮り鉄でもないけれど
時間に余裕のある休みには
電車でいつもより少し遠くまで行って
山の澄んだ空気や優しい川の音をゆっくり味わって帰ってくる。
こういう過ごし方もたまには良いかもしれない。
乗り鉄でも撮り鉄でもないけれど
時間に余裕のある休みには
電車でいつもより少し遠くまで行って
山の澄んだ空気や優しい川の音をゆっくり味わって帰ってくる。
こういう過ごし方もたまには良いかもしれない。
古い建物を訪れると、日々の過ごし方、暮らし方について先人の知恵を借りることができるような気がしてくる。
クーラーも扇風機もランプも無い時代、人々はその日その日の暑さ寒さや光を感じ、小さな部屋に設られた花や絵を眺めながら季節を味わったのだろうか。
でも考えてみれば、どの時代のどの階層の人たちも本当は目の前のことに精一杯で、
こうしてぼんやりと何かを眺めて暮らすなんてことはできなかったのかもしれない。
なんてことを竹の描かれた襖絵を眺めながら。
大きな杉玉を見掛けると、つい覗きたくなってしまう。
酒蔵というのは自分にとっては古き良き日本の美を凝縮したような存在に思えるし、
最近はカフェやレストランが併設されているところもあって、そういう酒蔵さんには一見客でも受け入れてくれる柔らかな雰囲気もある。
流通が発達したおかげで美味しいものが気軽に手に入る時代にはなったけれど、
この土地でこの人たちが丹精込めてつくったものなのかとか密かに関心しながら買って帰るお酒は、
いつもとは少し違った味がするんじゃないか、なんて思ったりして。
スマートフォンで小説や雑誌が読める時代になっても相変わらず文庫本が手放せない。
ベッドや床にゴロンとしながらでも気軽に読めて、
散歩する時にも片手で持ち歩くことができて、珈琲を待つひとときを至福の時間にしてくれる。
古い街には文庫を置いている喫茶店なんかもあって、書棚を眺めながらどことなく僕のラインナップと似ているな、なんて思ってニヤついてしまったりして。
壺で焼いたサツマイモを頂く。
「皮もおいしいんだね」と息子が微笑む。
「だから言っただろう」と僕も微笑む。
器にどういう絵を入れるか、よりも
あれやこれや色を塗っていくだけで愉しい。
秋の生きものを探しながら
里山を散歩。
森の方からは小鳥たちの澄み切った声が聞こえてくる。
自分にとっての「読書に適した場所」はどこだろうと考えたときに、
一番最初に頭に浮かんだのは「列車の中」だった。
なかでも最も深く本の世界に入り込めたのは寝台列車の中だったような気がする。
学生の頃から旅に出るのは決まって夏から秋にかけてのまだ暖かい季節だったから、暇を見つけては小さめの鞄に最小限の着替えと何冊かの本だけを詰めて列車に飛び乗った。
今まで読んだ小説のうちのいくつかは、その物語性とは関係なく、その時々の旅の記憶みたいなものと結び付いている。
とりわけ、夜の車窓から眺めた街の光と。
エビス様の御利益については詳しくないけど
思わず拝みたくなる気持ちはわかる。
やっぱりあの「まろやかさ」が人々を惹きつけるんだろうか。
- 安芸・備後はひろい。
私は三泊四日の予定をたて、小さな町を二カ所だけ選ぼうと思い、地図でさがしてみた -
司馬遼太郎 / 街道をゆく 備後の道
地図を見てその世界を想像する。タクシーの運転手さんとその土地の歴史や「今」について話をする。そして、自分の足で歩く。
いつか自分も、そういう旅の仕方をしてみたいなと思ったりして。