
壺で焼いたサツマイモを頂く。
「皮もおいしいんだね」と息子が微笑む。
「だから言っただろう」と僕も微笑む。
壺で焼いたサツマイモを頂く。
「皮もおいしいんだね」と息子が微笑む。
「だから言っただろう」と僕も微笑む。
器にどういう絵を入れるか、よりも
あれやこれや色を塗っていくだけで愉しい。
秋の生きものを探しながら
里山を散歩。
森の方からは小鳥たちの澄み切った声が聞こえてくる。
自分にとっての「読書に適した場所」はどこだろうと考えたときに、
一番最初に頭に浮かんだのは「列車の中」だった。
なかでも最も深く本の世界に入り込めたのは寝台列車の中だったような気がする。
学生の頃から旅に出るのは決まって夏から秋にかけてのまだ暖かい季節だったから、暇を見つけては小さめの鞄に最小限の着替えと何冊かの本だけを詰めて列車に飛び乗った。
今まで読んだ小説のうちのいくつかは、その物語性とは関係なく、その時々の旅の記憶みたいなものと結び付いている。
とりわけ、夜の車窓から眺めた街の光と。
エビス様の御利益については詳しくないけど
思わず拝みたくなる気持ちはわかる。
やっぱりあの「まろやかさ」が人々を惹きつけるんだろうか。
- 安芸・備後はひろい。
私は三泊四日の予定をたて、小さな町を二カ所だけ選ぼうと思い、地図でさがしてみた -
司馬遼太郎 / 街道をゆく 備後の道
地図を見てその世界を想像する。タクシーの運転手さんとその土地の歴史や「今」について話をする。そして、自分の足で歩く。
いつか自分も、そういう旅の仕方をしてみたいなと思ったりして。
まだ眠たそうな子どもたちを車に乗せて、朝のうちに空気の澄んだ土地へ移動する。
脚立をのぼって果樹のなるべく上の方に手を伸ばし、キャッキャキャッキャ言いながら新鮮な果物を食べる贅沢を知ってからは毎年の楽しみになっている。
少し歯応えのある桃も美味しいけれど、農園の方がクーラーボックスで冷やしておいてくれる甘みの増した桃もやっぱりおいしい。
妻は葡萄ジュース、僕は珈琲。
…と、葡萄ジュース。
昔はそれほど好きでもなかったのだけど、このところ美味しい豚の角煮と出会うように。
和からし(?)との相性も◎
このところ日本食が続いていたこともあり、朝食はパンを希望した。
たとえば石窯がありますよとか、どこそこで修行してきましたよとか、そういうお店のパンももちろん美味しいのだけど、
宿で焼いたパンに、新鮮なハムを何枚か切って、フルーツを添えてもらえたら、もうそれに勝るものはない。