
- 飯と共に、豆腐を煎りぬいた「ふりかけ」が出される。
このふりかけで、飯を四杯も食べた男がいるそうな。
天ぷらを、飯を、「うまい、うまい」と食べれば食べるほどに、
あるじの顔が笑みくずれてゆく。-
池波正太郎 『室町・はやし』
- 飯と共に、豆腐を煎りぬいた「ふりかけ」が出される。
このふりかけで、飯を四杯も食べた男がいるそうな。
天ぷらを、飯を、「うまい、うまい」と食べれば食べるほどに、
あるじの顔が笑みくずれてゆく。-
池波正太郎 『室町・はやし』
- 翌朝は軽井沢へ出て、貸し馬に乗って遊んだりしたのだが、
そのころは現代の軽井沢の夏の殷賑さはなく、いかにも物しずかな山の避暑地で、
小道の中の深い木立から洩れる陽光を受け、外国の金髪の少女がハンモックで昼寝したりしていた -
池波正太郎 『万平ホテル』
- 劇場を出て、銀座で肉を買い、帰宅して、ウイスキーをのみながら焼いて食べた。
食後、ひと眠りしてからテレビをつけると阪神・巨人戦で、小林が投げている。
蒸し暑い甲子園球場で、力投をつづける小林投手。
去年の彼には、まだ見られなかった鰭 (ひれ) が、たしかに現在の彼についてきている -
池波正太郎 『炎天好日』
最後に何かに心から拍手をしたのは、いつだったかなと考えてみる。
いま僕たちに必要なのは、夢中になれる何かとか、心を託せる誰かとか、そういうものなんじゃないかなと思ったりした。
- 三社祭、草市、四万六千日、針供養、羽子板市、そして酉の市……と、浅草の伝統行事は、いま尚、絶えていないし、
この行事をおこなうことによって、浅草は浅草としての〔存在〕をまもりぬいている。
そして、現代の若者たちも、異国の人びとも、これをよろこび、たのしみ、浅草へあつまって来るのだ。
その季節季節によって、時刻をえらび、酒をのむ場所と散歩の段取りをうまくつけて浅草へ出かけると、私などは、つくづく気がやすまるおもいがする-
池波正太郎 『浅草の店々』
-死ぬときのことを考えていた翌朝、
あたたかい飯と、熱い味噌汁と、好物の焼海苔を口に入れた瞬間に、
「生きていることの幸福」を感じるように、できているからだ-
池波正太郎 『母の好物』
-だからね、映画は何のために観るかというと、それが人間本来の最も自然な欲求だからですよ、結局。
いくつもの人生を観ること、それが映画を観ることなんだ-
池波正太郎 『なぜ映画を観るのかといえば』
-私を可愛がってくれた曾祖母も、何かごちそうをしてくれるといえば、蕎麦やであった。
先ず、曾祖母は、天ぷらなどの種物 (たねもの)をとってくれ、自分はゆっくりと一合の酒をのみながら、
「おいしいかえ?」
などと、はなしかけてくる-
池波正太郎 / 散歩のとき何か食べたくなって 『藪二店』
-東京の者には塩鱈はなつかしいものだ。
小松菜を入れた鱈の吸物へ柚子を二、三片浮かし、
熱いのをふうふういいながらすすりこむ-
池波正太郎 『柚子と湯豆腐など』
鱈 (たら) 独特のホクホクとした食感と旨味。柚子のあの濃縮された果実味と香り。
どちらも僕の好物なのに、どういうわけか、今まで組み合わせたことがなかった。
そろそろまた鱈鍋がやりたいと妻にねだってみようか。