
用事で街に出て、さてそろそろ帰ろうかと思ったところで喫茶の看板に気が付く。
そういえば今日は何だか忙しくて3時のおやつ的なものを食べる時間も無かったのだし、珈琲くらい頂いてから帰ってもバチは当たるまい、と自分に言い聞かせて老舗特有の重い扉を開ける。
ブレンドを頼んでひと息つくとメニューの端の「さくらんぼのケーキ」に目がいく。
いやいやこの後すぐに夕飯だから、と脳内で反論しながらページをめくるとそこには「フィナンシェ」と文字が並ぶ。
フィナンシェ、大好物なんです。
用事で街に出て、さてそろそろ帰ろうかと思ったところで喫茶の看板に気が付く。
そういえば今日は何だか忙しくて3時のおやつ的なものを食べる時間も無かったのだし、珈琲くらい頂いてから帰ってもバチは当たるまい、と自分に言い聞かせて老舗特有の重い扉を開ける。
ブレンドを頼んでひと息つくとメニューの端の「さくらんぼのケーキ」に目がいく。
いやいやこの後すぐに夕飯だから、と脳内で反論しながらページをめくるとそこには「フィナンシェ」と文字が並ぶ。
フィナンシェ、大好物なんです。
冬になると無性に食べたくなるものが2つあって、ひとつはビーフシチューで、もうひとつはチョコレート。
チョコレートはもちろん固形のものも好きなのだけれど、自分にとってのスペシャルはなんと言ってもホットチョコレート。
風の冷たい2月には温かい飲みものが恋しくなるもの。
珍しく自転車で遠出をしてみたら、通りには今まで気が付かなかった看板と「ショコラショー」の文字。
たまらず自転車を降りて早速オーダーしてみると本日はブラジル産のカカオ、とのこと。
日替わりで産地が違う?
甘い香りのするホットチョコレートを受け取り、ゴクリと一口。
喉元を過ぎる濃厚なチョコレートがゆっくりと心身を暖めてくれる。
ガラスケース越しに見た6個入り程の小さなアソートのひとつでも買っておけば家でも楽しめたのに、とお店を去った今になって後悔している。
子どもの習い事の送り迎えの合間、冷え切った心身を暖めようと、前から気になっていた喫茶店を覗いてみる。
居心地の良さそうな半地下のお店は、夜にはバーになるみたい。
注文したブレンドコーヒーが品の良い音を立てて供される頃になって漸く店内の暗さに慣れてきて、少しずつ目の焦点が合うようになる。
週替わりのメニューのところに『デコポンのケーキ』と書かれているのを見つけてまごまごしていると
「シンプルですけど、おいしいですよ」とお店の人が声を掛けてくれる。
僕は頷いて、柑橘の香りを思い浮かべながら残り少なくなってきた珈琲を楽しむ。
先日食べてアップし忘れていたスープカレー風のお雑煮。
お店の外に提げられたカウンターでフーフー言いながら食べるお餅はまた格別。
もう少し和風の仕上がりにしたものを家で楽しんでみたいななんて思ったりして。
小さな頃に銭湯に通う習慣があったわけでもないのだけれど
昼でも夜でもなんとなく湯船が空いていそうな時に
ふらっと出掛けていって汗を流し、さっぱりした気持ちで家に帰るのが好きだ。
湯冷めは良くない、と昔から言われているのはよく知っているけれど
湯あがりのコーヒー牛乳かアイスクリームでも食べてひと息ついたら、ぽかぽかしてるうちに街に出て、何も考えずにぶらぶらと散歩したい。
いつもより家で過ごす時間が長くなり、
空調の効いた部屋に慣れてきてしまったけれど
やっぱりジワジワジワと鳴く蝉の声と
灼けるような陽光を感じなければ
夏が来たという感じがしない。
お店を出ると、どこか遠くから風鈴の音が運ばれてくる。
おやつに何が食べたいか
というと何故かドーナッツとかシフォンケーキみたいなモソモソとしたモノばかり頭に浮かぶ。
それは単に「食べ応え」ということもあるけれど、珈琲とか紅茶とかとの相性なんかも無意識のうちにイメージしているのかもしれない。
みたいなことをアレコレ考えながら雨のなかを散歩している。
「ドーナツ工房」なんて看板を提げたお店がある街は、それだけでなんだか魅力的に見える。
大きな杉玉を見掛けると、つい覗きたくなってしまう。
酒蔵というのは自分にとっては古き良き日本の美を凝縮したような存在に思えるし、
最近はカフェやレストランが併設されているところもあって、そういう酒蔵さんには一見客でも受け入れてくれる柔らかな雰囲気もある。
流通が発達したおかげで美味しいものが気軽に手に入る時代にはなったけれど、
この土地でこの人たちが丹精込めてつくったものなのかとか密かに関心しながら買って帰るお酒は、
いつもとは少し違った味がするんじゃないか、なんて思ったりして。
煮詰まってくると何やら無性に街歩きがしたくなってくる。
でもなぜ街を歩くのかと考えると、自分でも良くわからない。
別に川とか山に行けばいいような気がするし、なんなら近所をランニングするだけだって良いような気もする。
なんてことを考えながらブラブラしていると豆大福、という文字がゆらゆら揺れているのが目に入る (もちろん立ち寄って、買って帰る) 。
道の反対側には旨そうなハムやチーズを置いたデリカテッセンが見える (もちろん買って帰る) 。
お店には、ちゃんと人の気配がある。
別に行きつけの店でも知り合いがやってる店でもない。
だけどそこには最低限の人と人との触れ合いがあって、僕はそういうのものを外の世界に求めているのかもしれない。
コロナ後は何か用事がなければなかなか電車にも乗らなくなってしまった。
そのかわり、すべてが新鮮というか、世の中の景色が違って見えたりもする。
変わらずにずっとあるものもあるのかもしれないけど。