
-文芸は技術でもない、事務でもない。
より多く人生の根本義に触れた社会の原動力である-
夏目漱石 / 三四郎
人間社会とは何か、ということをこの頃よく考える。
我々の築き上げてきた文化とは何だろう。文芸とは何だろうということも考える。
-文芸は技術でもない、事務でもない。
より多く人生の根本義に触れた社会の原動力である-
夏目漱石 / 三四郎
人間社会とは何か、ということをこの頃よく考える。
我々の築き上げてきた文化とは何だろう。文芸とは何だろうということも考える。
「近ごろの学問は非常な勢いで動いているので、少しゆだんすると、すぐ取り残されてしまう。
人が見ると穴倉の中で冗談をしているようだが、これでもやっている当人の頭の中は劇烈に働いているんですよ。
電車よりよっぽど激しく働いているかもしれない。
だから夏でも旅行をするのが惜しくってね」
夏目漱石 『三四郎』
- 街路のアスファルトの表面の温度が華氏の百度を越すような日の午後に大百貨店の中を歩いていると、私はドビュシーの「フォーヌの午後」を思い出す。
一面に陳列された商品がさき盛った野の花のように見え、天井に回るファンの羽ばたきとうなりが蜜蜂を思わせ、行交う人々が鹿のように鳥のようにまたニンフのように思われてくるのである。
あらゆる人間的なるものが、暑さのために蒸発してしまって、夢のようなおとぎ話の世界が残っているという気がするのである -
寺田寅彦 『デパートの夏の午後』
- 私は小さく呼んでみる
世界は答えない
私の言葉は小鳥の声と変らない-
谷川俊太郎 / 六十二のソネット 30
からっぽの頭で自然のなかをふらふらと散歩していると、ふいにこの詩を思い出すことがある。空には何もない。世界は答えない。
- ほんの些細なことがその日の幸福を左右する。-迷信に近いほどそんなことが思われた。
そして旱 (ひでり) の多かった夏にも雨が一度来、二度来、それがあがるたびごとに稍々 (やや) 秋めいたものが肌に触れるように気候もなってきた。
そうした心の静けさとかすかな秋の先駆は、彼を部屋の中の書物や妄想にひきとめてはおかなかった。
草や虫や風景を眼の前へ据えて、ひそかにおさえてきた心を燃えさせる、-ただそのことだけがしがいのあることのように峻には思えた-
梶井基次郎 『城のある町にて』
いつの頃からか、” 城跡 ” を好きになった。
もっと若い頃、そこには観るべきものはないように思われたけれども、そうではないと後でわかった。
-「ああ、そうですな」
少しまごつきながらそう答えた時の自分の声の後味がまだ喉 (のど) や耳のあたりに残っているような気がされて、
その時の自分と今の自分とが変にそぐわなかった。
なんのこだわりもしらないようなその老人に対する好意が頬に刻まれたまま、峻はまた先ほどの静かな展望のなかへ吸い込まれていった。
風がすこし吹いて、午後であった-
梶井基次郎 『城のある町にて』
-変にくすぐったい気持が街の上の私をほほえませた。
丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾をしかけてきた奇妙な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう-
檸檬 / 梶井 基次郎