Lectio

人物評論

-坂本が薩摩からかへつて来て言ふには、

成程西郷といふ奴は、わからぬ奴だ。

少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。

もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だらう

といつたが、坂本もなかなか鑑識のある奴だヨ-

勝海舟 『氷川清話』

人が人を評する際のエピソードというのは眉唾ものだなと思うこともあるけれど、勝海舟の人物評論はどれも面白くて、わかりやすい。

何世代も前の歴史上の人物たちの人柄に、グイグイと引き込まれてしまう。

Lectio

およそ世の中に歴史といふものほどむつかしいことはない

-元来人間の智慧は未来の事まで見透すことができないから、

過去のことを書いた歴史といふものにかんがみて将来をも推測せうといふのだが、

しかるところこの肝腎の歴史が容易に信用せられないとは、実に困った次第ではないか。

見なさい、幕府が倒れてから僅かに三十年しか経たないのに、

この幕末の歴史をすら完全に伝へるものが一人もない-

勝 海舟 『氷川清話』

Lectio

道徳に反対した文芸は枯れてしまわなければならない

-我々人間としてこの世に存在する以上どう藻掻 (もが) いても道徳を離れて倫理界の外に超然と生息するわけにはいかない。

道徳を離れることが出来なければ、一見道徳とは没交渉に見える浪漫主義な自然主義の解釈も一考して見る価値がある。

この二つの言葉は文学者の専有物ではなくって、貴方方と切り離し得べからざる道徳の形容詞としてすぐ応用が出来るというのが私の意見で、

何故そう応用が出来るかというわけと、かく応用された言葉の表現する道徳が日本の過去現在に興味ある陰影を投げているという事と、

それからその陰影がどういう具合に未来に放射されるであろうかという予想と

まずこれらが私の演題の主眼な点なのであります-

夏目漱石 『文芸と道徳』

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茶の哲学は、世間で普通に言われている、単なる審美主義ではない

-それは倫理と宗教に結びついて、人間と自然に関するわれわれの全見解を表現しているからである。

それは衛生学である、清潔をつよく説くから。

それは経済学である、複雑奢侈 (しゃし) よりはむしろ単純さの中に慰安を示すから。

それは精神の幾何学である、宇宙にたいするわれわれの比例感覚を定義するが故に-

岡倉天心 『茶の本』