
イタリアビールを飲みながらコロッケをつつく。
石窯を眺めると、自分たちのためのものと思われるピッツァが焼かれている。
コロナ禍で長いことテイクアウトでしか味わえなかったあの味。
冷めてもおいしいものは焼き立てもとびきりおいしい。
イタリアビールを飲みながらコロッケをつつく。
石窯を眺めると、自分たちのためのものと思われるピッツァが焼かれている。
コロナ禍で長いことテイクアウトでしか味わえなかったあの味。
冷めてもおいしいものは焼き立てもとびきりおいしい。
普段コーヒーばかり飲んでいるのでたまには紅茶でも、と思ってカフェに立ち寄ると
「レモンケーキ」という文字が目に入り、試しに注文してみる。
ちょっぴり疲れている時でもあったので甘味が欲しかったところへレモンの爽やかな酸味も加わって、ティータイムに理想的な軽食。
ケーキと柑橘というのは何故こんなに合うのだろう。
モーニングにこれ以上のものは望めない。
店員さんと交わす朝の挨拶。
ゆで卵とサラダにホットドッグ。温められたカップで出される熱々のコーヒー。
テーブルに置かれた新聞。
満ち足りた顔でお店を後にするおじさん達。
冬になると無性に食べたくなるものが2つあって、ひとつはビーフシチューで、もうひとつはチョコレート。
チョコレートはもちろん固形のものも好きなのだけれど、自分にとってのスペシャルはなんと言ってもホットチョコレート。
風の冷たい2月には温かい飲みものが恋しくなるもの。
珍しく自転車で遠出をしてみたら、通りには今まで気が付かなかった看板と「ショコラショー」の文字。
たまらず自転車を降りて早速オーダーしてみると本日はブラジル産のカカオ、とのこと。
日替わりで産地が違う?
甘い香りのするホットチョコレートを受け取り、ゴクリと一口。
喉元を過ぎる濃厚なチョコレートがゆっくりと心身を暖めてくれる。
ガラスケース越しに見た6個入り程の小さなアソートのひとつでも買っておけば家でも楽しめたのに、とお店を去った今になって後悔している。
ラーメンという食べものはいつ食べても美味しいものだけど
なんと言っても寒い時期にハフハフ言いながら啜るのが一番。
北海道フェアで見つけた札幌味噌を自宅で堪能する。
毎度の事ながら、ラーメンに入っているメンマとかモヤシって何でこんなに旨いのだろうと感心してしまう。
手巻きに使ったツナ缶の残りでパスタ。
おせち料理に飽きた頃なので、家でさっと作ったパスタでもやけに美味しい。
いつもより厳しいこの冬の食欲には限りがなく、今度はトマトにアンチョビの効いたピッツァも食べたくなってくる。
モンブラン級の大物は甘党とは言えない僕には少し荷が重かったりするけれど
ほんのり苦味の感じられる珈琲に合わせて、となると話は違ってくる。
コロナ禍ですっかり習慣化された自宅でのコーヒーブレイクもそれなりに良いのだけれど
やっぱりお店に入り、コポコポカチャカチャという音が聞こえてくる自分の席で
珈琲を待っているこの時間こそ “至福の時間” なんだよなとあらためて思う。
「最近の日本酒は本当に美味しくなった」と言われる。
実際に酒屋さんを訪れてもキリッとした辛口のお酒ばかりではなくて、華やかな味のものや旨み、甘みを感じられるものも置かれているし、
ボトルデザインもお洒落なものが増えてきて、女性にも日本酒ファンが増えたことは生産者にとっても嬉しいことだろう。
だからといって、父や祖父がその昔ワイワイやりながら呑んでいたお酒がおいしくなかったかと言えば、そうではないんだろうな。
その時代その時代の人々の暮らしに合ったお酒を生産者が作ってきたし、これからもそうなんだろうな。
最近のコンビニスイーツだって味はなかなかのものだけれど
やっぱりもらって嬉しいのは老舗のカステラとかになるのかもしれない。
頂きものを手提げ袋ごと妻に渡し、
珈琲にしようか、紅茶にしようかとアレコレ考えるだけで愉しい。
白いご飯が何より好きなので、お米がどういう環境で、どういう人たちに育てられているのかということについては昔から関心がある。
考えてみれば全国的に有名なお米の産地とかでなくても何百年も昔から田や畑として農産物を供給してきた土地というのはあるわけで、
(我々人類も何かしらの生き物の子孫であるわけだけど) 土というもの自体、なかなか不思議な存在に思えてくる。
黄金色の稲穂とは良く言ったもので、収穫の季節を迎えた田園の風景はこの国の本当の豊かさを教えてくれている気がする。