Lectio

おそらく、星は心を寄せるにはあまりに遠く頼りなく、小さ過ぎたのかもしれない。

- 天国とはちがい、極楽や彼岸は海や川の彼方にあるので、

わたしたちの祖先は、空を仰ぎ見て、天にまします神に救いを求めたり、

『ピノキオ』みたいに「星に願いを」こめたりしなかったためではないだろうか -

高畑 勲 『闇と光』

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暗がりの中の仄かな光

-谷崎潤一郎は戦前、日本家屋から微妙な陰翳が消えていくことを惜しんで『陰翳礼賛』を書いた。

たしかにわたしたちの祖先は、住まいだけでなく、たそがれ、かわたれどき、萌葱(もえぎ) 、浅黄 (あさぎ) などなど、

多くの言葉が残っていることでも分かるように、日常の中で光や色の微妙な差や変化を感じ、それを大事にしてきた。

しかし、過去に存在した「陰翳」を、貧しさや不自由のあらわれとしか感じなかった大多数の現代の日本人は、むしろ欧米化するつもりでさっさとそれを捨て去り、

明るい照明器具を発明した西洋人の方が、意識的に「陰翳」を日常生活の中に取り込んで「礼賛」しているのはじつに皮肉なことではなかろうか-

高畑勲 『日本の文化とその風景』

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ロバと王様と私

-明日はみんな死んでます

ロバは飢えで

王様は退屈で

そして私は恋で

時は五月

人生はさくらんぼ

死はその種

そして恋は さくらの木-

高畑勲展で掛かっていてずっと気になっていた作品。

今の時代のこの国に生まれ育った自分が絶対的な権力者による支配というものを本当の意味で理解するのは難しい。

けれど、人間が暴力を伴わずに淡々と消されていく世界というのは何かしら今の現実の世界に通ずるものがある。